第五話 対峙



 竜の群れが、人の群れが、東西から地平線を覆い尽くして突き進む。暗くたれ込める雲は、これから始まる惨劇を声を殺して嘆いているのだろうか。生ぬるい風が不気味な音を立て、どす黒い焦土を吹き抜ける。そして息絶えたその大地に、おびただしい数の生命が集う。破滅に向けて燃えたぎるエネルギーが、異様な高揚感と哀愁を漂わせ、今まさに相まみえようとしていた。
「……あれは……?」
 人軍の最前列、戦車の上からスコープを覗く兵士が、行く手にあるものを見つけて呟いた。どこまでも広がる天と地の境界、そこに何か不自然な輪郭が見える。単なる地面の隆起だろうか。それともいち早く到着した敵軍の群れか。それらの考えは前進するごとに否定されていく。違う。これは――。
 時を同じくして、竜軍も遠く彼方に待ち受ける不審な物陰を見つけていた。一歩一歩歩みを進めるたび、確実に近づく何か。その真の姿を認識したとき、彼らの間にどよめきが巻き起こった。
 人の鎖だ。人が地平線をなぞるようにどこまでも、どこまでも、手を繋いで一直線に並んでいるのだ。人だけではない。竜も、獣人も、幻獣も、精霊も――あらゆる種族がない交ぜになって、一人ひとり互い違いの方向を向きながら固く手を結んでいる。まるで、対峙する両軍の前に立ちはだかるように――。



 荘厳なる銀の塔、エテルニアの内部はほとんどがらんどうだ。無機質な壁が円筒を形作り、空の彼方まで伸びる。巨大な空間はとめどなく、体の奥底まで震わせるようにさざめく。底知れぬ不安と威圧をその身にたたえ、最終兵器は沈黙を守っていた。
 その重苦しい空気を切り裂くように、クロリアとジンが螺旋階段を駆け上っていく。カンカンカンと小気味よい靴音が響いては、降り積もる低温に呑み込まれていく。
 まもなく辿り着いたのは、天まで突き抜けるがらんどうをたったひとつ遮る、大きな球体の部屋だった。ぽっかりと浮かぶように、それは塔の中央に据えられている。
 足を踏み入れ、異様な光景を目にしてはたと立ち止まる。プラネタリウムのような空間の中央に、見たこともない装置が鎮座している。燻銀の煌めきをまとうそれは、どうやら完成体ではないようだ。中央がえぐり取られたように空き、無数のコードが蔓のように垂れ下がっている。ここに何某かが接続されて初めて、この装置は本性を表すのだ。
 考えるまでもなく、ジンは悟った。
「起動装置……」
「美しいでしょう?」
 装置の向こう側からアルフィレーヌが姿を現した。得体の知れない触手の塊を愛しげに見上げ、我が子のように優しく撫でさする。
「エテルニアの脳髄よ。極上の生体兵器を取り込み、生命と感情を得ることでこの子は目覚める……。いよいよそのときが来たんだわ」
 そう言って視線をこちらに向けた途端、彼女は言葉を失った。目を見開き、穴が空くほどに見つめる先にはクロリアがいる。
「そんな、まさか……」
 喉を震わせて声を搾りだしたかと思うと、突然弾かれたように駆け寄り、その足元にがくりとひざまずいた。
「『許されざる御方』! 生きていらっしゃった! 嗚呼、そのお姿をまた拝見できるなんて……」
 興奮した様子でひとしきり叫ぶと、無言で見下ろすクロリアの眼を恐れ多そうに見つめ返す。
「しかし、なぜあなた様がこのようなところに? それに――」
 ちらとジンの方に視線を送る。すっかり我を取り戻したその顔つきに、アルフィレーヌは驚愕と不快を隠しきれない。クロリアは静かに口を開き、告げる。
「ジンを助け、この兵器の発動を止めるために」
「しかし、この者はあなた様を!」
 言いかけ、ハッと口をつぐむ。刹那、畏怖に駆られて身を震わせた。
「失礼いたしました。私のような愚民が、あなた様の御前で口答えをするなど……。そう、今となってはもう済んだこと。それにあなた様はこうして生きていらっしゃる。それだけでもう充分でした……」
 人格をころころ変えるかのように、今度は一転、猛省の念に押しつぶされたか細い声で呟く。
 トレーユで出会ったときとはまるで別人だ。あの頃はこの狂信的な姿をひた隠しにしていたのだろう。自ら作ったシナリオのもと、自然に、そして確実に『許されざる者』を予言へ導くために。
 そして彼女は陶酔に瞳を潤ませ、胸の前で固く手を組み、噛みしめるように語り出す。
「さあ、時は満ちました。あなた様のためならば、愛しい我が子、エテルニアさえも生け贄として捧げましょう。どうか今度こそ、この世界に至高の終焉を……。絶対なる神とその御遣いに栄光あれ!」
 だが次に彼女を待っていたのは、思いがけないひとひらの言の葉だった。
「……その神も『許されざる者』も、もう死んだ」
 アルフィレーヌはその意味を解するのにしばしの沈黙を要した。息を呑み、はじかれたように振り仰ぐ。吸い込まれそうなほどに深い蒼の瞳が、こちらをじっと見下ろしている。
「偽りだ。俺たちが信じていた神も、予言も。現に狂っているじゃないか。こんな筋書き、予言のどこにもなかった」
 確固たる静かな声は、アルフィレーヌの盲目の心に一音、また一音と突き刺さる。
「始まりもきっかけもわからない。でも、いつからか間違ってしまったんだ。間違って信じた。信じたから存在してしまった。予言も、それを下した神も、俺たちが作りだしたただの虚像だった」
「そんな、ことは……」
 ほとんど絶句しているアルフィレーヌから視線を外し、クロリアはゆっくりと天を仰いだ。透き通る瞳は、天井の向こう側に聳えるエテルニアの頂、そしてその遙か彼方を透かし見ている。
「本当の神は、その間違いすら静かに見守っている。遠くから、近くから。すべてを創り出し、見届ける者。誰が信じなくても在り続ける絶対の存在――それが、真の神だ」
 それに気づいた今、予言など脅威にもならない。偽りの神も恐るるに値しない。運命という鎖に幾重にも囚われていたこの身は、完全に解き放たれた。用意された道などではない、本当に成し遂げなければならないこと。それを実行するのに、もう何の障害もないのだ。
「……また」
 呟くアルフィレーヌは、耳の奥にとめどない音を聞いていた。今まで信じて疑わなかったものが、がらがらと跡形もなく崩れていく音を。
「またあなた様は道に迷っていらっしゃる。この者ですね? この死に損ないの男が、またあなた様をたぶらかしているのですね。この期に及んでまで……」
「そう思っていればいい。俺は自分のすべきことをするだけだ」
 おもむろに、びっしりと紋章の這う左腕を持ち上げる。悪魔の――死と破壊の力をみなぎらせる指先が、真っ直ぐにエテルニアの脳髄に向けて伸ばされる。
「お止め下さい!」
 必死の形相でアルフィレーヌが立ちはだかった。
「『許されざる御方』、あなた様は狂ってしまわれた。無念にもこの男に惑わされてしまわれた。それならばこのアルフィレーヌ、あなた様のために、あなた様の代理となって予言を遂行します!」
 叫びながら、白衣のポケットを乱暴にまさぐり、何かの液体が詰まった薬瓶をひっつかむ。見覚えのあるそれにジンが気づくよりも早く、アルフィレーヌは瓶の口を開け、何の躊躇いもなく中身を一気に飲み干した。
 突然の奇行に言葉も出ないクロリアに構うことなく、彼女は次の作業に移る。瓶を投げ捨て、エテルニアの脳髄に歩み寄り、操作パネルのレバーやスイッチを黙々と切り替えていく。
「……何のつもりだ?」
「エテルニアは、竜殲滅のために開発された兵器。魔楽器の力を増幅し、惑星全土に届く死の旋律を謳うのです」
 めきめきと、骨と肉の軋む音がする。アルフィレーヌの肉体は不自然に波打ち、膨れあがり、変色し――みるみるうちに異形の金属兵器へと形を変えていく。目を覆いたくなるような惨状の中、当の本人は何食わぬ顔でパネルを操作し続ける。
「本来ならば対竜用兵器として、竜族のみに効果的な音域で音色を奏でます。でも、その音域を限界にまで拡張すれば……」
 ゆっくりと振り向いたアルフィレーヌの顔は、もはや原形をとどめていなかった。無機生命体に貪り喰われた人間の末路。自我と意識を保ち、その口で人語を話しているのがにわかには信じられない。
 そしてその手は――否、もともと人の手を象っていた金属の触手は、音域制御のレバーを躊躇いもなく引き上げた。
「よせ!」
 叫ぶより早く、アルフィレーヌの手元を弾丸が射抜く。束の間の沈黙ののち、青白い煙の立ちのぼる拳銃の向こうに、ジンは背筋の凍るような笑みを見た。激情にわなわなとその身を震わせながら、アルフィレーヌは金属に侵食された顔をいびつに歪める。
「あなた……まだ私の邪魔をしようというの?」
 瞬間、悲鳴にも似た笑い声が部屋中に木霊した。
「殺してやる! 今度こそこの手で殺す! 死ね、死ね、死ね死ね死ねええええ!」
 瞬く間に、アルフィレーヌの体から無数の銃身が伸びる。狂気の絶叫とともに、銃口という銃口が一斉に火を噴いた。
 咄嗟にクロリアがジンを庇い、左手を眼前に突き出す。圧倒的な悪魔の力によるシールドが展開され、触れる無数の弾丸を一瞬で蒸発させていく。それでも銃弾は雨霰と降り続け、一向に止む気配がない。凄まじい轟音の中、アルフィレーヌの甲高い叫びが切れ切れに届く。
「ああ、『許されざる御方』。どうかそこをお退きください! 最高のショーですわ! その男が蜂の巣になって、砕けて、飛び散って、ぐちゃぐちゃの血と肉だけになって……!」
 顔をしかめるクロリアの背後から、ジンが声を張りあげた。
「クロリア、先に行け!」
 耳を疑うような言葉に、思わず振り返る。
「こんなところで狂人の相手をしている場合じゃないだろう! この場は俺が引き受ける!」
「でも……!」
 弾丸の雨が降り注ぐ中、シールドから出るタイミングを見計らっているジンを必死に引き止める。次の瞬間、クロリアは真っ直ぐな銀の眼差しに射抜かれた。
「お前にはまだやるべきことがある。忘れたのか? お前はそのために生き延びたんだ!」
 ――そして自分もまた、ここで運命を阻止するために生き延びた。
 刹那、銃弾の音が一瞬だけ途絶えた。
 クロリアの背を突き飛ばし、自らは反対側へと駆ける。自分の名を叫ぶクロリアの声を頭から追い出し、狂人と真っ向から向き合う。その思いがけない行動に、アルフィレーヌも思わず攻撃の手を止めた。
 呆然とするクロリアに、ジンはありったけの想いをこめて叫ぶ。向かいあう蒼と銀の瞳。胸に深く刻まれる、一瞬。
「行け!」
 すべてを振り切るように、クロリアは光と闇の翼を羽ばたかせた。





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