第四話 終末を望む者



 薄闇の中でレディスタが目覚めたとき、もうジンの姿はなかった。あのあと泣き疲れて、泥のように眠り込んでしまったらしい。知らぬ間にベッドへ横たえられていた彼女の体には、漆黒のマントがそっとかけてあった。無意識にそれを手繰り寄せる――ひとかけらの温もりすら逃さないように。
 見るも無残に変わり果てた体。他人に操られ、自分のものではなくなっていく体。愛しいものを壊すことしかできなくなった自分。崩れていく過去。絶望的な未来。辛くて辛くて、本気で死を考えた。
 そんな私を、ジンは許してくれた。私が生きることを、存在することを許してくれた。生きられると思った。たったあの一言で、生きられると思った……。
 ――現金だな、私。
 そっとベッドを降り、窓際へ歩み寄る。裸足で踏みしめる床に、ガラス片がキラリと光る。
 ――そう、最低だよね。弱くて怖がりで、無責任な臆病者。せっかくみんなが励まして支えてくれたのに、それを無駄にするようなことばかりして。
 分厚いカーテンを、引きちぎるように退ける。
 ――でもわかったの。諦めるのはまだ早い。泣いてる暇なんてない。今からでも遅くない。だって……
 荒っぽく鍵を外し、勢いよく開け放つ。
 ――まだ何も、終わってない!
 光がいっせいに降り注いだ。朝の訪れを知らせる風に、レディスタの紅の髪がたなびく。世界の息吹が、時の流れが聞こえる。自分がここにいることを、確かに感じる。
 眼下に広がるのは物々しい軍事基地と、それに押しやられるようにして密集する民家。デルテティヌ――圧倒的な力を振りかざすことで自分たちの身を守る街。もうすぐ滅びるかもしれないこの世界で、なおもつまらない戦争を続けようとする街。
 本当にここは、なんて絶望的な世界だろう。争いは留まることを知らず、憎しみと悲しみが繰り返され、生きとし生けるものは絶え間ない不安と闘い続けている。その上、絶対的な予言によってすべての滅亡が約束されている世界。希望も何もない。けれど――。
「だからこそ、このままじゃ終われないよ……」
 自然と紡ぎだされたその言葉は、自分でも驚くほど力強かった。
 そのときだ。レディスタは至極当然の疑問を、今更になって思い出した。
 ――そういえば私、どうして操られてるの?
 思えば恐怖ばかりが先行して、今まで一度も考えたことがなかった。誰が何の目的で、こんな手の込んだ真似をしているのだろう。どうしてみんなを殺したがるのだろう。そのための手駒が、よりによってどうして自分なのだろう。相手は一体何者だ。愉快犯か? 殺人鬼か?
 レディスタの頭の中で、数多の思考が巡り巡る。高速で回転しながら、ひとつずつ繋がっていく。
 違う。相手の目的は無差別殺戮ではない。誰彼構わず攻撃はするけれど、中でもジンやテテロに向ける殺意が並外れて強い。それに、私の口を借りて呟いたあの言葉。
 ――大丈夫。あなたのことは私が守ってあげるから……。誰にも邪魔なんて、させないから……。だからね、早く楽になって……。
 ただひとり、クロリアだけは絶対に傷つけようとしなかった。それどころか、狂気じみた愛をもって接していた。どうしてクロリアを守るんだろう。邪魔をするとか、楽になるとか、あれは一体どういう――。
 レディスタが息を呑んだ。何かがカチリと音を立てて繋がるのと、忌まわしいあの声が脳裏に響いてくるのとは同時だった。
 ――さあ、終わらせましょう。この世界を、あるべき道へいざないましょう……。
「嫌よ!」
 再びのっとられそうになる体を、レディスタはきつく掻き抱いた。肉体を手放さないことに全神経を集中させ、叫ぶ。
「絶対、絶対、あなたの思い通りになんてさせないんだから……!」



「アルゼン様。先ほど、デルテティヌに竜軍が侵攻したとの情報が入りました」
 会議室の中心で巨大な世界地図を囲んでいた面々が、一斉に視線をそちらに向けた。アルゼンは突然の知らせに驚くことなく、まっすぐに鳥人の若者を見つめる。
「詳しい状況を」
「はい。侵攻軍の構成は翼竜数百匹、竜王一族の姿は見られません。デルテティヌでは緊急避難体制がしかれ、ミサイル及び生体兵器約百体を中心に迎撃を行っています」
「セータイヘイキ……!」
 テテロが敏感に反応する。アルゼンはうろたえる彼にそっと視線を送り、落ち着くよう促した。今度はジンが重い声で呟く。
「……その中に、レッドがいるんだな」
「奪還に失敗したんだ! 当然だろう」
「そういう言い方はよせ、ディオール。むしろあのような危険人物はいない方が我らのためだ」
「そのことですが」
 鳥人の若者が口を挟み、怪訝そうな声で告げる。
「なぜか……レディスタ様の姿が見当たらないのです」
「何?」
「偵察隊一同、細心の注意を払って探しましたが見つかりませんでした。我々鳥人の眼を信じていただきたい。戦線にレディスタ様はいません」
「では、軍の基地で待機しているのでは?」
 アルゼンが問うと、鳥人は一層困った顔をして答えた。
「その可能性は低いかと。デルテティヌは人軍の本拠地――人間たちからすれば、被害は最小限に留めたいはずです。事実その通り、彼らは最も強力とされる生体兵器たちを選りすぐり、戦闘の即時決着を図っています。レディスタ様は戦闘能力が極めて高いうえ、対翼竜戦に最適な飛び道具を装備しています。当然、戦線に配備されるはずの人材です」
「それなら一体どこへ……。――ガラ?」
 アルゼンがふと顔を上げると、竜王の娘ガラはそのしなやかな長い首をついと伸ばし、どこか遠くを見つめていた。他人には感じ取れない何かを敏感に察知しているような、ミステリアスな眼差しだ。少しの沈黙のあと、低く美しい声でおもむろに呟く。
「……外へ行きましょう」
「え?」
「求める答えが、洞窟の外で待っていますわ」



 ノイエンの洞窟の上まで出てきたアルゼンたちは、驚きに目を見開いた。森の緑に異質に映える、紅の髪と銀の腕――彼らを地上で待ち受けていたのは、なんとレディスタその人だった。機械の侵食はより一層進み、今では背中に鋼鉄の翼までもが生えている。
「レッド!」
 彼女の姿を見つけるなり、ジンは我を忘れてその名を呼んだ。
 驚くのも無理はない。彼女を取り戻しにデルテティヌへ向かったのは他でもない彼で、しかもそのときは奪還に失敗しているのだ。精神状態があれほど不安定だった彼女が――それまでの自分を否定すらしていた彼女が今、再びノイエンの土を踏んでいる。
「貴様! どうしてまたここに……」
 湧きあがる嫌悪感を露わにする同志たちを、先頭に立つアルゼンはスッと腕を横に伸ばして制止した。もはや本来の人間の姿とは程遠いレディスタを前に、彼女は怯えることもせず静かに問いかけた。
「既に『盾』を脱退したあなたが、どうして再びここへ来たのか――その訳を聞かせて頂けますか」
「アルゼン様。私……」
 そこまで言って、彼女は声を詰まらせた。自らの頭を強く押さえつけ、何かに必死で抗っている。彼女の異様な行動に、アルゼンの後ろに控えた者たちがぎょっとして怯む。彼女の中の『誰か』が体をのっとろうとしているのだと、ジンは感づいた。
「レッ……」
「来ちゃだめ!」
 レディスタがすぐさま叫ぶ。
「大丈夫、ジン。私……今なら頑張れるよ」
 苦しげにそう呟いて、レディスタは微笑んだ。
 ――絶対に、私の体を好きにはさせない。
 迫ってくる『誰か』の意識を払いのけ、レディスタは目の前の人々とまっすぐに向かいあった。
「私に近づかないで下さい。私の中の『誰か』が、みんなを殺そうとしているんです」
 同志たちが一斉にどよめいた。
「私はその『誰か』に体をのっとられて、操られてしまうんです。この前暴走したときもそうだった……。今は私がその人の意識を抑えていますが、危険ですから絶対に近寄らないで下さい」
「だったらどうしてここへ来た!」
 かつて仲間だったはずの者が放つ、冷たく突き放すその言葉。レディスタの胸に悲しみがどっと湧きあがってきたが、この感情に負けてしまっては終わりだ。『誰か』につけいるチャンスを与えてはならない。震える足で精一杯土を踏みしめる。
「伝えにきたんです。私の中の『誰か』のこと。この人は――」
 一層強く押し入ろうとする『誰か』の意識をはねのけ、レディスタは告げた。
「――『許されざる者』の降臨を、世界の破滅を望んでいます」
 予想もしなかったその言葉に、辺りがしんと静まった。だがレディスタには確信があった。そう考えれば、『誰か』による奇妙な行動の数々にも納得がいくのだ。
「『盾』のみんな、特にジンやテテロを殺したがっているのは、クロリアが『許されざる者』になるのに邪魔だから。操る体に私を選んだのは、クロリアに近づくのに好都合だったから。精神的にも不安定な方がのっとりやすいでしょうし」
「デ……デモドウシテ? 何デソイツハ、ワザワザソンナコトシヨウトスルノ?」
 至極当然のテテロの疑問に、レディスタは首を横に振って答えた。
「私にもわからないの。とにかくその人は、私を利用してクロリアに近づいて、予言通り『許されざる者』になるよう仕向けてるみたい」
 もしかしたら、と彼女は哀しげな声で続ける。
「最初から……シルヴィラスが崩壊するところから、もうその人が仕組んでいたのかもしれない。クロリアが『許されざる者』になるためには、深く深く絶望して、この世界を壊したいと思わせなきゃいけないでしょ。……だから、わざわざクロリアの周りで悲しい事件をたくさん起こしてきたのかも」
 自分でそう言っている間にも、胸の中で怒りとも虚しさとも悲しみともつかない強い感情が巻き起こる。その激流に呑みこまれないよう、必死に己を奮い立たせる。
「だからお願い。みんな、クロリアの傍にいてあげて! クロリアがずっと希望を持っていられるように、絶対に『許されざる者』なんかにならないように! 私はもう会えないから。私の中の『誰か』を、できるだけクロリアから離さなきゃいけないから……」
「その必要はないよ」
 静かな声に、その場にいた者たちが一斉に振り返った。いつからそこにいたのだろうか。アルゼンたちの背後に、まるで一枚の羽根のように儚く佇む人影があった。誰もが驚きに息を呑んだ。
「クロリア……!」





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