第四話 奇襲



 ――今日も、夜が明けた。
 ベランダから空を仰ぎながら、アルゼンはそんなことを思った。ここは森の奥深く、しかも地面に空いた穴の中だから、今は日の光は届かない。闇を取り払うように真っ赤に染まっていく空だけが、朝の訪れを教えてくれる。
 ――私たちはあと何回、こうして平穏な朝を迎えられるのだろう。
 アルゼンの真紅の瞳に、丸く切り取られた空が映りこむ。不気味なほどの静けさが、佇む彼女を包み込んでいる。
 日に日に悪化していく情勢。刻々と近づいてくる予言の日。明日をも知れぬ脆い世界の中で、自分たちにできること。それは世界の大きすぎる流れの中では、ただの足掻きにすぎないかもしれない。全ては無駄に終わるかもしれない。しかし、それでも我々は――。
「……決して屈したりなどしませんよ。運命とやら」
「私もそのご意志に賛成です。そうとなれば、地獄の果てまでもお供致します」
 自分の呟きに答える声を聞きつけ、アルゼンは驚いて振り返った。
「おひとりで行動なさっては皆が心配しますよ、陛下」
 薄暗い中に佇んでいたのは、隻眼の名医ラスターだった。カツカツと靴音を立てながら、アルゼンの方まで歩み寄る。するとアルゼンはそれまでの鋭い表情とはうって変わって、ふわりと花が開いたような笑みを浮かべた。
「大丈夫です。衛兵たちに気付かれないよう、こっそり出てきましたから。私だって、ひとりになりたい時くらいあるものですよ」
 王らしからぬ台詞を聞いて、ラスターも苦笑混じりに「困った女王様だ」と呟いた。
「ラスター。あなたこそ、大事な患者さんの様子を見に行かなくて宜しいのですか?」
「ええ、そのつもりで今起きたところです。今日から手術を始めますからな、健康状態を確認しておかないと」
 そう言って一呼吸置いてから、ラスターは気になっていた話題を切り出した。
「……昨日、また竜たちによって町がひとつ潰されたそうですな。デルテティヌ近郊のヴェルモント――市民の多くは人だったようです」
「それだけではありません。カシリア、アーデルランツ……。それに、南方のトロエも」
「トロエ? あれは確か、竜族の住まう地域では……」
「そうです。遂に人軍も、無抵抗な民への無差別攻撃を始めました」
 伏し目になりながら語るアルゼンに、ラスターも「そうですか……」と短く返すことしかできなかった。
「私は……ここまで知っておきながら、死にゆく民のために何もできない自分が憎いです」
 悲痛さを滲ませた声で、アルゼンはそう呟いた。取り乱すことは決してしないが、彼女の胸の中に秘められた激しい感情は容易に見て取れる。ラスターは相変わらずの無表情ではあったが、彼女をいたわるような声音で言った。
「お気持ちはよくわかります。しかし今我々にできることは万端の準備を整え、来たる全面衝突を食い止めるよう全力を尽くすことだけ……。それが犠牲となった者たちや、恐怖に震えている者たちのためにできる最善のことなのだと、私は信じています」
 アルゼンは気を静めるために深く呼吸してから、一言一言を確かめるようにして自分に言い聞かせた。
「そう……その通りです。いけませんね、王たるもの、気の迷いなどあってはならないのに。ありがとう、ラスター」
「愚者の戯言です、お礼には及びません。私はただ、陛下に強くあって頂きたいと思っているだけです」
 四六時中固い表情をして、淡々とした声でしか話さないラスター。ともするとただの冷たい男と取られがちな彼だが、アルゼンは彼を気に入り、またよく慕っていた。数多の修羅場を乗り越えてきた彼の人生経験は半端なものではなく、その中で培われてきた確かな判断力と精神力も、彼は持ち合わせている。そんなラスターに、アルゼンはこれまで何度も助けられてきた。女王という決して揺らいではならない立場にある彼女にとって、ラスターは心の拠り所だった。
 アルゼンはもう一度、ゆっくりと頭上を仰いだ。先程よりも明るさを増した、血のように赤い朝焼けの空が視界に広がる。
「……不吉な色ですね」
 彼女の呟きは、静かにノイエンの土に染みこんでいった。



「レッド。レッド、入るぞ」
 声に続いて、カチャリとドアノブが回る。ベッドの上でだらだらと寝転がっていたレディスタがハッとして振り返ると、扉の向こうにはジンの姿があった。上半身を起こし、未だ寝ぼけているような声で、レディスタが声をかける。
「あ……おはよー、ジン。来てくれたんだ」
「今日から本格的に手術するって聞いてな、様子を見にきた。どうだ、調子の方は」
「うん、元気元気。ありがとー」
 欠伸交じりに言いながら両腕を曲げてジェスチャーまでするレディスタだったが、どうにも様子がおかしい。いつもはてきぱきとした明るい声で話しかけてくるのに、今日は語調も仕草もひどくぼんやりしている。
「……何かお前、変じゃないか?」
「えー。なんで?」
「声が妙に間延びしてるというか、欠伸ばかりして眠たそうというか……。寝不足か?」
 その言葉を聞いた瞬間、レディスタの脳内が一気に覚醒した。急に慌てた様子になって、ぶんぶんと頭を振りながら否定する。
「ち、違う違う! 全然そんなことないよ、ちゃんと寝てるよ! ほら、今日なんか手術に備えてしっかり体力つけとかなきゃだし!」
「な、何そんなに必死になってるんだ。何かあったのか?」
「だっ、だから何もないって――」
「れっどー! オッハヨー!」
 二人の会話を快活な声が遮った。開け放したドアの向こうに、テテロが満面の笑顔で立っていた。軽い足取りでベッドの方へと歩み寄る。
「ア、じんモ来テタンダ、オハヨ! ネェれっど、今日ハオッキナ手術ガアルンデショ? 頑張ッテネ、応援シテルカラ! れっどガ兵器ノマンマナンテ、俺嫌ダモン。大丈夫、キット治ルヨ!」
 朝からここまでハイテンションなのは流石、と言ったところだろうか。彼がひと通り言い終えたのを見計らって、ジンがふと気になったことを問いかける。
「テテロ、クロリアはどうした。今日は一緒じゃないのか?」
「アァ、イルニハイルンダケド……何デカコッチニ来ヨウトシナインダヨネ。今モ部屋ノ外デ待ッテルンダ。オーイくろりあ! じんガ呼ンデルヨー」
 言いながら、無邪気にトコトコとドアの方へ駆けていく。すると廊下からひそひそと殺した声が聞こえてきた。
「こら、余計なこと言うなよっ」
「エー、ドウシテ? 今日ノくろりあ、何カ変ダヨ? トニカクホラ、入ッタ入ッタ!」
「うわっ!」
 強制的に押しやられ、クロリアが躓きそうになりながら病室に飛び込んできた。慌てて体制を持ち直し、ふと顔を上げる。瞬間、彼の奇行を凝視していたレディスタと、これでもかというほど目があってしまった。
「あ……」
 どちらからともなく声が漏れる。次の瞬間、二人の顔が爆発音でも立てそうなほど真っ赤に染まった。固まる四人。
「……なるほどな」
 何とも言えない沈黙の後、ジンがそっけない声でぼそりと呟いた。そのまま視線をゆっくりとレディスタに送る。
「な、なるほどって、何が?」
 のぼせてしまったような顔のレディスタは、しどろもどろな口調で問いかけた。そんな彼女とは対照的に、ジンは至極落ち着き払った様子だ。――いや、むしろ無表情すぎて、そこはかとない恐ろしさを感じる。
 じっとレディスタの眼を見つめたまま、クロリアの方を親指で指し、彼は言った。
「あいつがここに来たんだな。昨日の夜、この部屋に」
 さらりと言い当てられて絶句するクロリアとレディスタ。そんな二人を見て、ジンは間髪置かず続けた。
「……図星か」
「エエエーッ! くろりあ、俺ガ寝テル間ニソンナコトシテタノ? ヤラシーッ! ソレッテ俗ニ言ウ『夜這――』」
「ばっ、馬鹿! 何変な想像してんだ、そんなことしてねーよ! 俺はただ……」
 しまった、という顔でクロリアが硬直する。これでは、昨夜のことを自ら告白しているようなものだ。ジンは内心、鎌を掛けるまでもない彼の単純さに呆れていた。
「で、でも本当よ! クロリアは夜中にうなされてた私を心配して来てくれただけなの。本当に何にもしてないんだってば!」
「俺が言ってるのはそんなことじゃない。わかるか? 真夜中に、お前とクロリアが、二人っきりで、同じ部屋にいた。それ自体が問題なんだ」
「だからっ、だから……それは……」
 レディスタは顔を赤らめてうつむきながら、必死に弁解しようとした。改めて言葉にされるとたまらなく恥ずかしくて、ジンの顔を直視することもできない。それに、何もしていないというのは半分嘘だ。昨夜、クロリアと交わした甘いキス――あの感触が脳裏に甦ってきて、頭がぼうっとしてしまっている。さすがにそこまでばらす訳にはいかない。
「……ま、あいつにそんなことを許すくらいなんだから――」
 意味深な呟きを聞きつけて、レディスタがふと顔を上げる。するとその瞬間、細い指で顎を優しく捕らえられた。心臓が止まってしまいそうなほど美しく整ったジンの顔が、目と鼻の先にあった。
「俺にもこれくらいの権利、あるよな?」
 そう囁いて、ジンはその顔をゆっくりと近づけてきた。
「ちょ……ま、待って待って待って!」
 レディスタの脳内は恥ずかしさと驚きで大混乱していた。視線を逸らそうにも、顎をつかまれていて身動きが取れない。後ろへ下がろうとしても、既に後頭部は背後の壁にぴったりとくっついてしまっていた。どうすることもできず、思わずぎゅっと目を瞑った、そのとき。
「はいっ、そこまでそこまで!」
 クロリアが二人の肩を力任せに引き離していた。言うまでもなく、彼の顔も真っ赤である。
「お前なぁ、レッド嫌がってんだろ! 無理矢理そういうことするなよな!」
「何だ、嫉妬か? 自分は夜這いまでしておいて、独占欲の強い奴だな」
「だから違うっての! まったく、よくそういうこと恥ずかしげもなく……」
「元はと言えばお前が蒔いた種だろう」
「だからそれはっ」
「オカシイナ」
「病人を見舞いに行くことのどこがおかしいんだよ!」
「イヤ、ソウジャナクテ――」
 冷静になってみると、今の声はテテロのものだ。振り返ると、彼は嫌に真剣な顔をして、敏感に何かを感じ取ろうとしていた。
「何カ……変ナ臭イシナイ?」
「臭い?」
「ウン。コレハ……焦ゲテル?」
 その場にいる全員が嗅覚に神経を集中した瞬間、慣れた臭いを感じ取ってジンが息を呑んだ。
「――火薬だ!」
 叫んだ直後、気絶しそうなほど大きな爆発音が響いた。爆風、砕けたガラス、そして激しい衝撃が一斉に四人に襲いかかる。一瞬の出来事だった。濃い煙に取り巻かれて、彼らの姿がかき消される。
 もうもうと立ち込める埃にむせながら、咄嗟に身を固めていたクロリアが、腕を解きながら言った。
「……っ! おい、みんな無事か!」
「う、うん……」
 ジンの肩の向こう側からひょっこりと顔を出して、怯えきった声でレディスタが答えた。瞬間的にジンが覆いかぶさって守ってくれたからいいものの、薄着の彼女がまともに今の爆発を食らっていたら、間違いなく無数の怪我を負っていただろう。
 クロリアは焼け焦げた窓辺に駆け寄り、外の様子を見上げる。瞬間、彼は驚きに目を見開いた。
 数え切れないほどの人間が、穴の上から雨霰のように降ってきていた。落ちているのではない。降りてきている。ところが奇妙なことに、彼らはパラシュートも何も身につけていないのだ。代わりに彼らの身体には、大きな対の物体が生えていた。――鉛色に鈍く光る、翼だった。
 彼らはそれぞれ武器を手にし、手当たり次第に穴のあちこちを攻撃していた。しかしそれを操作しているはずの腕は見えない。――そう、彼らの腕そのものが、機関銃やらガトリング砲やらに変形しているのだ。
「な……。何なんだ、これは……」
 クロリアの口から言葉が零れ出る。その背後から、レディスタも次々に降ってくる人の群れを見ていた。恐怖の色に染まった眼で、彼らの変わり果てた、人ならざる姿を凝視していた。
「全員、お怪我は!」
 ドアを蹴破るような勢いで誰かが部屋に駆け込んできた。四人が一斉に振り向くと、そこには肩で息をするラスターの姿があった。
「あ、ああ、何とか……」
「良かった。ここは危険です、今すぐ避難して下さい。私が先導します」
「ラスター、これは一体……」
「説明は後です。さあ!」
 事態を飲み込めずにいるクロリアたちにはお構いなしに、ラスターは駆け出した。四人も急いでその後をついていく。
 土の中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた複雑な通路を、ラスターは迷うことなく走り抜けていく。途中、次々に横道からノイエンの住民たちが合流してきた。全員、焦燥と不安に駆られながらも、パニックに陥ることなく確実に避難していく。思えば彼らは皆『盾』という組織の一員なのだ。意志を共にする彼らのまとまりの良さには、目を見張るものがあった。
 やがて彼らがたどり着いたのは、本当に地中にあるのかと疑いたくなるような巨大な空間だった。四方を取り囲む乳白色の壁は厚く頑丈で、余計なものは何ひとつないがらんどうだ。そこには既に、溢れんばかりの住民たちがひしめいていた。きっとここが彼らの避難所なのだろう。
「これから我々が、全ての扉を封鎖します。戦闘が終わり、我々が再び扉を開くまで、この場で待機していて下さい。くれぐれも自分たちで開けることのないようお願いします」
「待ってくれラスター!」
 早急に去ろうとするラスターを、クロリアが慌てて呼び止める。
「一体外で何が起こっているんだ? 上から降ってきた奴らは一体……」
 ラスターはレディスタの顔をちらりと見て瞬時ためらい、しかし迷っている暇はないといった様子で口を開いた。
「……人軍の生体兵器が、我々を襲っているのです」





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