第五話 何が為に血は流れる



 レディスタは何も言わなかった。何も言えなかった。無言のまま、胸にきつく握り締めた両手を押し当てて、頭を棍棒で殴られたような衝撃を必死に受け止めていた。
「見る限り、彼らは相当に危険です。だから急遽、戦闘の心得のない者たちをここに集めました。クロリア殿、あなた方も絶対にここを――」
「馬鹿言わないでくれ。俺も戦う!」
「俺も行こう」
「俺ダッテ!」
 クロリアとジン、そしてテテロが続けざまに名乗りを上げると、ラスターは思った通りと言わんばかりの険しい顔で言った。
「申し上げたでしょう、人軍の者たちが攻めて来ているのだと。これがどういう意味なのかわかりますか」
 ラスターが鋭い視線を差し向けたのは、うつむいたまま沈黙しているレディスタだった。
「彼らは彼女を狙っている。軍の生体兵器である彼女を取り返しに来たのです。そしてそれにかこつけ、この組織まで崩壊させようとしている……。ですからあなた方には、レディスタ殿のことを何としてでも守って頂きたいのです。万が一、この扉が破られてしまったときのために」
「待てよ! 万が一って、そんなに切迫した状況なら、それこそ俺たちを戦力に加えた方が!」
「彼女の精神状態が不安定なことは、あなた方もご存知の通りです。もし彼女がこのような状況下で、たった独りで恐怖と緊張に耐えようとすれば、体の侵食が進み、最悪暴走して――」
「ラスターさん」
 加熱し始めた会話を、静かな声が遮る。ハッとして振り返った先には、そっと瞼を閉じて佇むレディスタの姿があった。意を決し、目を見開いて告げる。
「私……。私、大丈夫です」
「レディスタ殿!」
「私は、みんなと一緒に戦うことはできない。でも信じることならできます。私、みんなが必ず勝って、またこの扉を開けてくれるって信じて待ちます。ここにいる皆さんと一緒に……」
「お気持ちはわかります。しかし――」
「負の感情に囚われさえしなければ平気なんですよね? 私、みんなのことを心から信じます。そうすれば、湧き上がる恐怖にも不安にもきっと勝てます。だからお願い。私のことは構わずに……クロリアたちと一緒に、行って下さい」
 金色の瞳でまっすぐラスターを見つめ、必死に思いを伝えるその様子に、彼の心は揺れた。医者として、彼女をひとりにすることがどれほどのリスクを伴うかは痛いほどわかっている。しかし強力な戦力となってくれるであろうクロリアたちを戦線から外すこともまた、『盾』の存続を危うくする危険性を孕んでいるのだ。
 究極の選択を迫られたラスターの背後から、クロリアが前に進み出た。確固たる決意を露わにした眼差しで、ラスターの方を振り返る。
「――行こう、ラスター」
 ラスターの片方しかない目が見開かれる。
「クロリア殿……」
「レッドを信じよう。レッドが俺たちのことを信じてくれるのと同じように。もし『盾』が壊滅したら、それこそレッドだってただじゃ済まないんだ。俺たちは何としても、この組織を守りぬかなきゃならない」
「ソウソウ。『盾』ガナクナッチャッタラ、今マデノ計画ハ全部パーダヨ? ソンナノアレダヨ、ホラ……ソウ、七転八倒!」
「本末転倒、だな」
 ジンが冷静に突っ込みを入れると、レディスタもほんの僅かの間、緊張を忘れて笑った。ラスターはそんな彼女を見つめ、いつもより少しだけ穏やかな口調で言った。
「……信じて、良いのですね」
 短い問いかけに「はい」と答えるレディスタの声には、もう微塵の迷いも感じられなかった。
 それを合図に、彼女以外の四人は身を翻し、扉の向こうへ駆けていった。振り返ることなく、ただまっすぐに。
 扉は兵士たちによって、ズシンと重い音を立てて閉ざされた。巨大な部屋の中は、溢れんばかりの民が集まっているにも関わらず、しんと静まり返っていた。皆、扉の向こうにいる同胞を思っていた。ただひたすらに祈っていた。



 土の外に面したいくつかの空間に、数え切れないほどの戦士たちが集合していた。それは銃器を手にした人間であったり、鋭い牙をむき出しにしている竜であったり、魔術の杖を携えた精霊であったりした。勿論その中にはクロリアやテテロ、ジンの姿もあった。
 その様子は一見すると無秩序にも思えるが、彼らは種族という壁を越えて、ひとつの意志を共有した有志たちだ。それぞれがきちんと所定の場について敵を待ち受ける光景――その一体感は並大抵のものではなかった。
 彼らの最前列に立ち、屈強な鳥人の護衛を両脇に携えているのは、指導者アルゼンだった。繊細な刺繍の施された重厚な銀のクロークに身を包み、堂々たる姿で静かに直立している。
 程なくして、待ち受けていた相手が彼らの前に姿を現した。次から次へ、半分兵器と化した少年少女たちが続々と集まってくる。機械仕掛けの翼を携えた彼らは、空中に留まりながら『盾』と対峙した。
「我々は、デルテティヌ軍特殊生体兵器第三部隊である」
 先頭にいる、右肩から機関銃を生やした青年が高らかに名乗った。
「そなたらは我が軍の保有するところの生体兵器を一名、拉致監禁している。速やかに彼女を解放せよ。さもなくば直ちに武力を行使し、彼女を奪還する」
 アルゼンは顔色ひとつ変えず、強い眼差しできっぱりと告げた。
「罪なき民の体を無断で改造し、有無も言わせず軍事に加担させる、そのような非道な手段を用いるそなたらに、引き渡す同胞などいない! 我々は戦争は行わない。しかし自衛のための戦いはこの限りではない! そのような口実を用い我々を根絶せんとする、その下劣な考えを改め、直ちにこのノイエンの地から撤退せよ!」
 アルゼンの高らかな声が、洞窟の中を反響する。生体兵器の青年は待っていたとばかりに口角を持ち上げ、スッと機関銃の腕を挙げて宣言した。
「我々が求めんとするものは、武力行使のうちに求めるほかない。ここに両者の交渉の打ち切り、及び開戦を宣言する!」
「『盾』の民らよ、勇敢なる平和の使徒たちよ!我と共に、いざ侵略者を殲滅せん!」
 アルゼンが煌びやかな大剣を高々と掲げる。両脇の護衛たちが彼女のクロークを取り去ると、黄金の鎖帷子を身にまとった、息を呑むほどに美しく勇ましい姿が現れた。『盾』の陣営から、歓声とも絶叫ともつかない、大地を揺るがすような雄叫びが上がった。
 戦いの火蓋は、切られた。
 両者が激しくぶつかり合い、入り乱れる。あちこちで火の手が上がり、弾丸が飛び交い、刃が鋭い音を立て、電撃が走り、旋風が巻き起こる。怒鳴り声と断末魔が幾重にも重なり合い、壮大でおぞましいコーラスとなる。
 『盾』の戦士たちは、何を繰り出してくるかわからない未知の相手に苦戦を強いられていた。彼らは皆機械に侵された体をしているが、それぞれ全く違う能力を持っていた。しかもその全てが猛スピードで空中を舞う。地上戦でも、常人では考えられないような身のこなしを見せる。
 ――あり得ない!
 クロリアはライトアローを操り攻撃をかわしながら、心の中で叫んだ。
 目の前の小柄な少女は凄まじい形相で、自らの両腕、もとい二枚の巨大な刃を休むことなく振るい続ける。その一撃一撃が、どう考えても全力を振り絞ったものだった。こんなに激しい攻撃を立て続けに繰り出せば、体の方がもたない。例え戦乱を生き抜いたとしても、その頃には全身が悲鳴を上げ、肉体は使い物にならないほどボロボロになってしまうだろう。
 同じような光景を、ルロイドの街でも見た。人工生命体の黒髪の少女は、空恐ろしいほどに無表情のまま、ひたすら目の前の敵を追いかけていた。薄笑いを浮かべる白衣の研究者たちの眼前で――。
 ――使い捨ての道具って訳か。人の命を何だと思ってやがる!
 湧き上がる怒りを剣に込め、クロリアは渾身の一撃を放とうとした。瞬間、記憶の続きが脳裏をよぎった。それまで何の感情も見受けられなかった少女が、透明な涙を零して、自分の胸に縋りついている様が。
 ――リヴァ……。
 クロリアの思考回路が止まった。目の前の光景と記憶の断片とが、重なって見えた。心の中で誰かが叫んでいた。
 ――コロスナ。カノジョモニンゲンダ。ホントウハコンナコト、ノゾンデイナインダ……。
 一瞬の隙をついて、少女は突きを繰り出した。真っ直ぐにクロリアの喉をめがけて――。
 刃は彼の肌には届かなかった。クロリアが我に返ると同時に、少女は腹部から多量の血を流して倒れた。はじかれたように振り返った先には、紅に染まった大剣を握り締めるアルゼンの姿があった。
「何も考えるな、目の前の敵に集中しろ! 戦はもとより人の道に非ず!」
 そう強く言い放ち、彼女は再び次の敵に向けて剣を振るった。その瞳は、もういつもの彼女のものではなかった。燃え盛る紅蓮の焔のような、噴き出す鮮血のような――そんな恐ろしい色をしていた。
 クロリアは辺りを見回した。仲間たちは皆、未知の敵を相手に必死になって戦っていた。ジンやテテロの姿も見えた。彼らの心の叫びが聞こえてくるようだった。生き延びろ、守り抜け、真の目的のために――と。
 ――そうだ。自分たちはここで死ぬ訳にはいかない。扉の向こうで待っている仲間たちを守らなければならない。自分たちの、最後の目的を達成するために。来たる最終決戦を食い止めるために……!
 クロリアの眼の色が変わった。心臓が一際大きく脈打った。禁断の血が騒ぎ出した。
 ――戦え。思考を滅却して。
 左手を勢いよく前にかざした。肌を覆う紋章から、黒い稲妻が迸る。それは空中を走り、数人の敵兵の眉間を次々に貫いた。
 ――殺せ。ただひとつの目的のために。
 右手を振り払った。凄まじい旋風が巻き起こり、空中から弾丸の雨を降らせていた敵兵たちを吹き飛ばした。彼らは全身を強く打ちつけて、一人残らず死んだ。
 ――生きろ。敵を踏みつけて。
 左手を床に打ちつけた。轟音を立てて床が隆起し、敵兵たちの体を串刺しにした。
 ――殺せ殺せ殺せ!
 クロリアの肉体は見る見るうちに変形していった。光と闇でかたどられた巨大な翼が生え、体中に刻まれた刻印は更に色濃く、鈍い光を放った。瞳孔は肉食鳥のように鋭く、腕は人のそれとは似ても似つかないものへと変わり果てた。
 湧き上がる何かに突き動かされて、クロリアは殺し続けた。あれほどに皆が苦戦していた生体兵器たちを、いとも簡単に、捻り潰すように。彼らはなす術もなく次々と死んでいった。
 『盾』の兵士たちは呆気に取られて――いや、ほとんど怯えた形相でその惨劇を凝視していた。
 ――違う。
 誰かがそう叫んだ。胸の中の、深い深い奥の方で。クロリアは殺戮を続けながら、もうひとりの自分の悲痛な声を聞いていた……。
 敵兵は、遂にただひとりになった。最後の生き残りは、高らかに開戦を宣言したあの青年だった。クロリアは彼の機関銃に向かって、スッと右手を差し向けた。瞬間、青年の機械化した右腕は木っ端微塵に吹き飛んだ。
 若い兵士は仰向けに倒れた。アルゼンは静かに歩み寄り、彼の脇にひざまずいた。手には多量の血を吸った大剣が、しっかりと握られている。彼女は青年の喉元にそれを真っ直ぐに突きつけ、無感情な声で告げた。
「……我々『盾』の存在が知られてしまった以上、あなたを生かしておくことはできません。同胞たちと共に……逝きなさい」
 何の躊躇いもなく、剣は下ろされた。
 一瞬の空白の後、空気を震わすような歓声が上がった。生き残った大多数の『盾』の兵士たちは、血に染まった床の上を飛び跳ねながら、互いの健闘を讃えあった。辺りは溢れんばかりの喜びと、異様な熱気に包まれていた。
 アルゼンは剣の血を払い、ひとつ息をついた。ほっとしながらも、何かやりきれない思いを抱いているような、複雑な表情をしていた。
 絶え間ない歓声の中、彼女はゆっくりとクロリアの方へ歩いていった。彼は戦友たちに巨大な翼の生えた背を向け、背を丸めてうつむいていた。アルゼンはその背中に向かって、優しい声音で言った。
「よく戦ってくれました、クロリア。あなたがいなかったら、今頃我々はどうなっていたかしれません。あなたがこの組織を、そして未来を救ったのですよ」
 クロリアは振り向くことも、答えることもしなかった。ただただ肩を小刻みに震わせ、自分の体をきつく抱いている。
「……クロリア?」
アルゼンが不審に思って彼の肩に触れようとすると、クロリアは低く呻いた。
「来るな……アルゼン……っ」
 アルゼンが差し出していた手を引くのと、クロリアが鋭い叫び声を上げるのは同時だった。





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