明かりの消えた町並み。その一角に、ふたつの影があった。ひとつは少年、もうひとつは若い竜。どちらとも生々しい傷を負っていた。特に竜の方は重傷で、肩で呼吸をしているほどだった。一方の少年は、道沿いのポストに四角い小包を投函している。 カタン。 紙に包まれたテープは、乾いた音を響かせて落ちていった。蒼髪の少年が静かに口を開く。 「テテロ、無茶させて悪かったな。どうだ、傷の方は」 「ン……。マアマアカナ。サッキヨリハ大分楽ダヨ。竜ノ治癒能力ハ、人間ノ何倍モアルンダゼ? 心配スンナヨ。ハハ」 喘ぎながらも笑顔を見せてくれたテテロに、クロリアは微笑を浮かべた。 「さ、俺たちの仕事はこれで終わりだ。さっさとこの町を出よう」 「そうはさせないわ!」 不意に女の声が響いた。夜の闇が声の余韻を吸い取っていく。 クロリアとテテロの視線の先にいたのは、依頼人のフィレーネだった。怒りにわなわなと震え、拳銃を前に突き出している。 「私はあなたたちに、ヴァルクスを殺すことを依頼したのよ! 何故奴を生かしておくの!」 「……始めに言ったはずです。俺は殺しはしたくない、と」 「したいとかしたくないとかの問題じゃないでしょう! 私は依頼したの。あなたたちはそれを引き受けたのよ? 事をしっかりこなせないのなら、約束した金額は渡せないわね!」 「要りませんよ。始めからそんな物はどうでもよかった」 「え……」 当然のように言い放ったクロリアに、フィレーネは小さく声をあげた。戸惑いと怒りの入り混じった瞳が、街灯に照らされたクロリアの姿を映し出す。 「俺があなたに言いたいことはひとつ。人を殺めるのがどういうことなのか、分かって欲しいんです。あなただって、それが嫌で戦争を止めたいのでしょう」 「何ですって? 私はあなたに説教されるためにここにいるんじゃないのよ! 第一、あなたまだ子供でしょ? 子供に何が分かるって……」 フィレーネは思わず言葉を呑み込んでしまった。クロリアの眼差しが、いつもの彼からは想像できないほど重く、厳しかったのだ。フィレーネの白い手が、握り締めた拳銃と共に震える。 「な……何よ!」 「それなら、あなたたちは分かっているんですか。例えどんな人間でも、たったひとつしかない、尊い魂を授かって生まれてきたんだということを。皆同じように、人々に祝福されて生を受けたんだということを……」 クロリアはおもむろに、自分の両手に嵌めていた手袋を引き抜いた。そしてその手の平を、スッとフィレーネの方へ向ける。 「!」 フィレーネの顔が、恐怖に凍り付いた。 彼が見せた手の平にあったもの。それは、不気味な紋章の入れ墨だった。右手と左手、それぞれ全く違う刻印が施されている。クロリアの滑らかな肌が紋章に蝕まれている光景は、戦慄するほどに痛々しかった。 だが、その紋章が本当に意味するものは別にあった。それを悟ったフィレーネの顔が、たちまち蒼白になる。彼女は知ってしまったのだ。今、目の前にいる少年が何者なのか。 この惑星には、ひとつの恐ろしい伝承があった。あまりにも有名なその一節が、フィレーネの頭の中を埋め尽くす。 「あ、あなた……まさか!」 震える声でフィレーネは訊いた。クロリアは伏し目になり、全てを覚悟した重い口調で答えた。 「これだけじゃない。瞳にも、それぞれ烙印が刻まれています。そう、俺は人間じゃない……」 拳銃を握ったフィレーネの手が、小刻みにカタカタと震えだした。クロリアは明らかに恐怖している彼女を目の前にして、なおも言葉を続ける。 「俺は生きていることすら許されない、穢れた存在です。これは塗り替えることのできない事実――。だからこそ、あなたたちには精一杯、真っ直ぐに生きて欲しい。純粋に生まれたあなたたちが穢れなければならない理由なんて、どこにもないんだ……」 「いやああああ!」 募っていく恐怖に耐えきれず、フィレーネは我を忘れて銃を乱射した。しかしクロリアは平然と、自分の頬を掠る銃弾を気にも止めずに、フィレーネの方へ歩いてくる。そして当たり前のように、拳銃の銃口を握り締めた。 トリガーをがむしゃらに引いていたフィレーネの手が止まる。彼女の全身の震えが、冷たい拳銃を通してクロリアに伝わってくる。クロリアの瞳がフィレーネのそれと向き合い、二人の視線が絡まった。しばらく黙した後、クロリアがそっと言う。 「あなたにこれ以上、無意味な罪は着せたくない。殺しなんてつまらないことは、もうやめて下さい」 フィレーネの目が見開かれた。彼女は恐怖と嫌悪と困惑の入り交じった表情で、クロリアの蒼い瞳を見つめている。 彼女の頭の中を、様々な思いが駆け巡る。銃口をクロリアに向けたままの姿勢で、呆然とその場に立ち尽くした。 不意に、クロリアの手が銃口から放された。全身の力が抜けたフィレーネは、すとんとその場にへたり込んだ。銃器を握り締めていた手は脱力し、彼女の膝の上に落ちた。 クロリアが静かに歩き出した。この町を今晩中にでも出るために。テテロもふらつく体を必死に動かし、それに続く。一人と一匹の影はフィレーネの方を振り返ることはせず、夜の闇の中へと消えていった。 その後もフィレーネは、街角に座り込んだまま動かなかった。両眼からは涙が幾筋も流れていた。塩辛いその雫には、計画が失敗に終わった憤り、伝承に綴られている怪物に出遭った恐怖――全ての感情がない交ぜになっている。 そして何より、彼が口にした、思いがけないあの言葉。 自分は間違っていたのだろうか。人を殺させないために人を殺すなど、冷静に考えてみれば、矛盾しているのではなかろうか……。 抱え込んでいた思いがどっと溢れる。彼女は暗めの街灯に照らされながら、声もなく泣き続けていた。 「……くそっ。せめてあの小僧だけでも片づけておきたかったものだ」 クロリアたちが館を去った後、意識を取り戻したヴァルクスは、悔しそうに歯軋りしながら言った。彼の縄を解いていた番兵が、遠慮がちに告げる。 「しかし奴らは、既に館内には残っていないようで……」 「見つかり次第殺せ。でないと安心して眠ることすらできん」 やがてヴァルクスの部屋に集まった番兵たちは、それぞれの持ち場へと戻っていった。ボディーガードと負傷した門番たちは、詳しい事情を聞くため、数人の番兵によって連れていかれた。 部屋にはヴァルクス一人きりとなった。ようやっと静かになった私室で、彼は思わず溜息をつく。 「まったく、今日という日は。明日にでもわしの暗殺を依頼した輩を突き止め、片づけねば。それに、旅の若僧もあのまま生かしてはおけんな。いつまた命を狙われるか分からん……」 「それは困りますね」 「!」 ヴァルクス以外、誰もいないはずの部屋。それなのに聞こえた、彼の独り言に答える声。 慌てて声のした方を振り返ると、窓際の壁に寄りかかり、腕組みをしている人間がいた。全身を黒で統一した、見知らぬ少年だ。漆黒のフードの奥に、紅玉のピアスが煌く。 「な、何だ貴様は!」 「あの旅人は俺の標的(ターゲット)。あなたに彼を殺してもらっては、こちらの都合が良くない」 「何だと……?」 理解しがたい言葉を次々と発する少年に、ヴァルクスは戸惑いを隠せない。謎の少年は表情ひとつ変えず、淡々と話を続けた。 「どうしても彼を片づけるつもりですか?」 「当たり前だ!」 「そうですか……」 「奴はわしを殺そうとした張本人だぞ! それより貴様何者だ!」 「――『狩人』ですよ」 パァン。 乾いた銃声が響いた。ヴァルクスの体がどさりと倒れる。 自らを狩人と名乗った少年の手には、一丁の銃器。銃口は、今の今までヴァルクスの眉間があった場所に、ぴたりと向けられている。そこだけ露わにされた銀の瞳は、凍りつくほどに無情な光を放っていた。 |