第六話 狩人



 チリンチリンと、ドアに掛けられた鈴が景気よく鳴る。
 ここは、さして名が知れている訳でもない小さな町。日も大分昇ってきて町に活気が出てきた頃、とある食事屋に若い旅人と竜が入ってきた。
「いらっしゃい」
「旅の人かい? こんな辺境に珍しいねえ」
「疲れてんだろう? ゆっくりしていきな」
「おーいマスター。何かコーヒーでも出してやんなよ!」
「はいよ」
 店の先客たちが、温かく二人を迎え入れてくれた。クロリアは彼らの親切に礼を言い、空いていた席に腰を降ろした。テテロはいつも通り、椅子に掛けることはせず、クロリアに寄り添うようにして座り込んだ。
 ふと、同じテーブルについていた男性が、新聞を広げながら呟く。
「しっかし物騒な世の中になったもんだなあ」
「百年前には、竜とあんなに凄い戦争をしたんだ。少しは人間も、共存することを考えるようになったと思ったんだがね」
「困ったものだよ」
 周囲の人々が、次から次へと口を挟む。事態の飲み込めないテテロが、隣の客に尋ねてみた。
「何カアッタノ?」
「おや、旅人さんも竜さんも聞いてないのかい?」
「ほら、新聞にも出てるから読んでみな」
 最初に呟いた男性が、テーブル越しに新聞を手渡す。クロリアが受け取ると、隣の客が紙面を指で辿った。
「ええと……あ、あったあった。これだよ」
 話題の記事を見つけたクロリアは、小さく声に出して細かな字を読みあげた。テテロも新聞を覗き込むようにして見ている。
「ヘルメスの月、三十五日未明――」
「一昨日ダネ」
「ああ。――物売りの集う町アトルスで、町の指導者ヴァルクス氏が何者かによって殺害され、翌朝遺体で発見された――」
「!」
「――事件現場であるヴァルクス氏の館内の一室では、今なお捜査が続いている。被害者の遺体発見後、暗殺の犯人と思われる女性が逮捕された。フィレーネと名乗るその人物はアトルスの住人で、以前からヴァルクス氏の荒野開拓政策に反対していたことが発覚。翌日彼女は裁判にかけられ、容疑を否認した。しかし彼女の自宅から拳銃が見つかったため、犯行は間違いない物であるとの判決が下り、結果死刑を言い渡され、昨日処刑された――」
 ひと通り読み終わったクロリアとテテロは、しばし呆然としていた。隣の客が、溜息混じりに言う。
「酷い話だろう? まったく人間とは愚かなものさ」
「その通りだ。どうしてこうも簡単に人を殺めてしまうんだろうね。しかもたったひとつの政策のためだけにだよ。本当に信じられな……」
 バタン。
 椅子の倒れる音がした。その場にいた人々が、一斉にその方を凝視する。
 クロリアが新聞をテーブルに放り出し、立ち上がっていた。深く俯いていて、表情は分からない。テーブルについた両手はぎゅっと握られ、声も僅かに震えていた。
「もう、出発しなくては……」
「ど、どうしたんだい、旅のお方?」
「まだコーヒーも飲んでないだろう?」
「どうもお世話になりました。……行くぞテテロ」
「ウ、ウン……」
 ただならぬ気配を感じ取り、周りの客は誰からともなく沈黙した。クロリアもまた、無言のうちに立ち去り、テテロも慌ててそれに続いた。不安そうに二人を見送る客の前で、パタンと扉が閉まる。鈴がチリン……と、虚しく店内に鳴り響いた。
 クロリアたちは、店から少し離れた路地裏にいた。他には誰もいない。薄汚れた壁と向き合うクロリアの眼は、何もない足下の地面に向けられている。
 気まずい雰囲気の中、テテロが重い口を無理矢理開いた。
「……本当ニ、ふぃれーねサンが殺ッタノカナ」
 クロリアは黙りこくったままだ。
「最後ノふぃれーねサンノ顔、過チヲ繰リ返シテシマウヨウナ顔ジャナカッタノニ。ダトシタラ、誰ガう゛ぁるくすサンヲ……」
「もう……」
「?」
「もう、いいんだ」
「ナ、何言ッテルンダヨくろりあ!」
 全てを諦めたような口調で呟くクロリアに、テテロは勢い込んで言った。
「犯罪ヲ犯ソウトシテタふぃれーねサンヲ、くろりあハ必死デ助ケヨウトシタジャナイカ!」
「終わったんだ、あの町でのことは、何もかも。フィレーネさんもヴァルクスも、救ってやれなかった。たった二つの命すら、救ってやれなかったんだ」
「くろりあ……」
「例え誰が殺人を犯したんだとしても、そのことには、変わりないだろ……」
 あまりにも苦しそうにしているクロリアを見て、テテロは言葉を呑み込んでしまった。クロリアの肩に力がこもる。
 いきなりクロリアの拳が、壁に向かって叩きつけられた。鈍い音が路地裏に響き、テテロがびくりと震える。
「俺は無力だったんだ! 今まで周りから忌み嫌われても、必死で堪えてきた。目を合わせた途端に殺されかけたり、怪物とまで呼ばれたりした……。でも俺がそれに耐えられたのは、この穢れた自分だからこそ、特別な力を持った自分だからこそ、人を救えると思っていたからだ! なのに! なのに俺は……!」
 言葉の一つひとつを言い切るごとに、クロリアは激情に任せて、壁を思い切り殴った。両手に嵌めた手袋が破れていくことなど、彼の眼には映らない。しかし、遂には体に力が入らなくなり、壁に両手を押しつけた状態で止まった。クロリアの中であらゆる感情が爆発し、言葉を続けることもままならなかった。
 クロリアはわなわなと震えながら、ぼろぼろの手袋が被さった両手を見た。破れた隙間から覗く、残酷な現実を物語る刻印。溢れる思いに耐えられなくなったクロリアは、血が滲むほど強く、手を握り締めた。
 痛々しい沈黙。その空間に響くのは、クロリアの苦しそうな息だけだった。そしてふと、彼が呟く。
「それに、あの黒いマントの……。まさか、ジン……?」
 ジン。たったそれだけの言葉でも、クロリアにとってはとても重いものだった。声が一層震え、掠れてくる。
「あいつはあんな、あんな人間じゃなかった! だけど、あの瞳の色……。銀……」
 漆黒に身を包んだ少年の、どこまでも透き通った銀色の瞳。それはクロリアの知っているジンと同じだった。しかし、それでいて決定的に違う。彼の知っているジンの瞳は、優しく温かなものだったが、黒の少年はそうではなかった。彼がフードの奥から見せたのは、冷たく無情な光を放つ、刃のように鋭い眼――。
 信じたくない。信じられない。そんなことがある訳がない。
 クロリアの中にやるせない思いがどっと溢れ、今にも胸が張り裂けそうだった。彼はそれを押さえつけるように、拳を更にぎゅっと締めつける。緋い雫が、両手からぽたぽたと滴った。
「誰、なんだよ……!」
 朝の空に見た、気持ちよく晴れた蒼はどこへ行ったのだろうか。その色は今、彼の心情をそのまま映し出すかのように、どんよりと暗くなっていた。
 石畳の地面に雫の跡がついたのを、テテロが見つけた。それが灰色の空から降り出した雨なのか、クロリアが零した涙なのか、それは分からなかったが。



 昼も大分過ぎた頃。小さな町の食事屋に、この日二人目となる旅人が入った。
「いらっしゃい。おや、またしても旅人さんかい? ささ、ゆっくりしていきなさい、お若いの」
 単身やってきたその旅人は、マスターに勧められた席に腰を降ろした。店にいた客が彼の方を向いて、嬉しそうに笑いあう。
「いやいや、珍しいこともあるもんだねえ」
「こんなちっぽけな町に、二人も旅のお方が来るとはね」
「それにしても、あんた変わった格好をしているんだなあ」
「なあ旅人さん、顔を見せておくれよ」
 客が言うのももっともだった。旅人は両目以外を黒いマントで覆い尽くした、例の少年だったのだ。
 少年は優しく笑った。これまでその片鱗すら見せなかった、自然な笑顔だった。クロリアよりも少し低めの、心地よく耳に届く声で答える。
「それもそうですね」
 彼は頭に被っていたフードと口元の布を、そっと取り払った。漆黒に包み隠されていた素顔が露わになる。
 意外なことに、彼は何とも人懐こそうな少年だった。短い金髪に、ガーネットのピアスがよく映えている。端麗な顔立ちをした、美形ながらも可愛らしさの残る少年だ。
 周りの客は想像もしなかった彼の素性に驚き、口々に言った。
「驚いた! どんなに堅苦しい人かと思ってたら……」
「そこらの娘がみんな惚れちまうような、良い男じゃないか。隠しておくなんて勿体ないよ」
「ははは、確かに!」
「良ければ名前も聞きたいねえ」
「そうそう。きっと他の町では、名の通ったお方なんだろう?」
 人々の賑やかな会話を、穏やかな笑みを浮かべて聞いていた旅人が、ふと我に返った。その瞬間、少しだけ切なげな雰囲気を漂わせたが、次には変わらぬ笑顔でこう言った。
「通り名は『狩人』。名前は――ジンです」







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