第四話 エゴ



 螺旋階段を上がり、長い廊下を渡る。番兵二人が足を止めたのは、どっしりとした扉の前だった。一人の男が躊躇いながらもドアをノックする。
「ヴ、ヴァルクス様。宜しいでしょうか」
「入れ」
 部屋の中から、低く太い声が聞こえた。番兵が扉の取っ手を、息を詰めながら引く。ギギィ……と鈍い音を立てて、重い扉が開いた。
 部屋の正面に大きめのデスクが置いてあり、その向こうに赤地のソファーがあった。そこに葉巻をくわえた男が座っている。髪が薄く、鼻の下に髭をたくわえ、ふんぞり返って偉ぶっているその男こそ、ヴァルクスその人だった。
 彼の両脇には、がっしりとした体格の男が立っている。恐らく彼のボディーガードだろう。
「どうした」
「は、はい。その、館内に不審者が侵入したのを先程我々が目撃しまして、只今報告に参りました次第です」
「侵入者は一人か?」
「はっきりとは断定できませんが、人間一人と竜一匹と思われます」
「ふむ、良かろう。兵を十人ほど増やし、すぐにそいつらを探し出せ。始末は任せる」
「は!」
 今のヴァルクスはそれなりに機嫌が良かったようだ。怒鳴られるか首にされるかとびくびくしていた番兵たちは、心底ほっとした。ヴァルクスにぴしっと敬礼をし、部屋を後にする。開けたときと同じように、全体重をかけてドアを押して閉じた、次の瞬間。
「うわっ!」
「よ、よせ! モゴゴ……」
 閉まった扉の向こうに奇妙な叫び声を聞きつけ、ヴァルクスはあからさまに不機嫌な顔をした。
「何事だ、騒がしい」
 ボディーガードを引き連れ、ヴァルクスは扉の方へと出向き、その重いドアを開けた。
 視界に飛び込んできたのは、縄でしっかりと縛り上げられ、口まで塞がれ、廊下でもぞもぞと蠢いている二人の番兵だった。彼らはヴァルクスの姿を見つけるなり、必死に助けを求めた。
「もごー!」
「何だこれは! 一体どうしたのだ!」
「見リャ分カルデショ? 捕マッテルノ」
 動揺するヴァルクスたちの耳に、奇妙なアクセントの声が聞こえた。彼らが一斉にその方を見ると、大きな翼を何枚も生やした若竜が、腕組みをして立っている。
「ドモー、う゛ぁるくすサン」
「な、何者だ貴様!」
「アア、自己紹介ガマダダッタネ。俺ハててろ。宜シクネ!」
「貴様が侵入者のひとりか! 何をしている、さっさと撃ち殺せ!」
 ガードマン二人が即座に拳銃を取り出し、テテロに向かって発砲する。だが咄嗟にテテロは手から壁を作り出し、撃たれた弾を全て跳弾させた。これには泥棒騒動のときの住民同様、ガードマンたちも驚きを隠せない。
「オット。言イ忘レテタケド、俺ハ自由自在ニ変身デキルンダ。撃ッテモ弾ノ無駄ダカラ、ヤメタ方ガイイヨ?」
「ふざけたことを……。貴様ら、こんな所へ何しに来た!」
「ンートネ、用ガアルノハ俺ジャナクテ……ホラ」
 おもむろにテテロが天井を指さす。それにつられて上に目を向けたヴァルクスたちは、思わず口をあんぐりと開けてしまった。
 彼らの頭上を、蒼髪の美少年が軽々と飛び越えていた。空中を舞うクロリアと、呆気にとられたヴァルクスの目が合う。
 クロリアは音もなく着地し、無駄のない動きでヴァルクスを背後から取り押さえた。間髪いれず、彼の喉元に短剣の刃を当てる。これもライトアローが変形した姿だった。クロリアの行動のスムーズさは、旅生活で鍛え抜かれたものだ。人一倍、運動能力には長けていた。
「ぬあ……!」
「動かないで下さい。俺が望んでいるのはあなたの死ではないので」
「お、おい、ガード! 何をしておるのだ、さっさとこやつらを……!」
 そこまで言って、ヴァルクスは絶句してしまった。何とボディーガード二人は、気を失って倒れていたのだ。その横でテテロが悪戯な笑みを浮かべている。彼が当て身か何かを食らわせたのだろう。うどの大木とはまさにこのことか。護衛たちのあまりの情けなさに、ヴァルクスは言葉も出てこなかった。
 そんなことはお構いなしに、クロリアは話を進める。
「ヴァルクスさん。俺たちは人殺しをする気はありません。しかしそのためには、ある条件を呑んでもらうことが必要です」
「何が言いたい、小僧……」
「今あなたが行っている政策、つまりチェクルイスの荒野への人材派遣と開拓作業を中止し、この地位から手を引いて下さい。それを約束すれば、今すぐにでもここを立ち去ります」
「……ふ。聞いておるぞ。貴様ら、今日この町に来た旅人だそうじゃないか。よそ者に何がわかる?」
「話は全て、この町のある住民から聞きました。今俺たちがこうしているのも、その人からの依頼です」
 クロリアの言葉を聞き、ヴァルクスは不気味にせせら笑った。
「クックックッ……。なるほど、やはりわしの政策に反対する者がおったか。だがな、わしは何と言われようと、必ずチェクルイスを支配するのだ!」
 言い切るのと同時に、ヴァルクスは袖に隠していた仕込みナイフで、クロリアを振り向きざまに斬りつけた。首に刃が突きつけられているというのに、こんな大胆な抵抗をするとは、その場に居合わせた誰もが想像もしなかった。
 虚を衝かれたクロリアは反射的に飛び退き、間一髪でそれをかわす。ヴァルクスと一定の距離をとり、今度はライトアローを長剣へと変えた。二人はそれぞれ刃物を構えながら向かいあう。
「何故です? そんなことをすれば大勢の死者が出ることくらい、あなたも分かっているはずだ!」
「だろうなあ! だがそんなことは問題ではないのだよ! この町の資源はもう僅かしか残っていない。この町が生き残るためには、この道しか残されていないのだ!」
「しかし当の住民たちはそれを望んでいない。戦争を起こして傷付くのはあなたではなく、彼ら住民たちなんですよ!」
「綺麗ごとなど言っている場合か? そんな考え方が世界に通用するとでも思うのかね? この世界は汚れている。貴様のような甘い人間は生き延びてゆけない世界なのさ! わしは近々チェクルイスを攻め、侵略するぞ! なあに、わしに反対する奴は片っ端から殺すまでだ! さて……」
 ヴァルクスは壁に飾ってあったライフルを手に取り、すぐさまそれを構えた。
「まず手始めに、お前を片づけるとしよう!」
 空気を震わせる銃声と共に、ライフルの弾がクロリアを襲う。しかし彼の動きは素速かった。続けざまに放たれる弾丸をひょいひょいとかわしつつ、一気にヴァルクスの目の前まで躍り出る。ヴァルクスがそれに気付くよりも早く、クロリアが彼の腹部に一発、剣の柄で当て身を食らわせた。
「ゴフッ……!」
 腹の底から絞り出すような呻き声をあげ、ヴァルクスはどさりと床に崩れた。彼が完全に気絶したことを確認して、一息つくクロリア。廊下からことの成り行きを見ていたテテロも、ほっと胸を撫で下ろした。
「ヤレヤレ。コノ人モ馬鹿ダネ。俺タチガ聞キタカッタコト、ゼーンブ話シテクレタヨ。くろりあ、チャント録音デキタ?」
 そう言われてクロリアは、腰のベルトに吊るしてあった四角い物――録音機を取り出した。つまり今のヴァルクスとクロリアの会話は、見事にこのテープに入っている。
 これが二人の考えた作戦だった。ヴァルクスに自らの陰謀を話させ、それを録音して町中にばらまく。そうすれば町の者たちによってヴァルクスは裁かれる。クロリアも無闇に殺しをしなくて済む、というわけだ。
 クロリアはテテロの言葉に返事をする代わりに、テープを少し巻き戻し、再生した。
『……この世界は汚れている。貴様のような甘い人間は生き延びてゆけない世界なのさ!』
 ガシャッという機械音がして、ヴァルクスの嘲り笑う声が切れた。クロリアの指が停止ボタンを押していた。
 テテロが溜息をひとつつく。
「マッタク、人ハ窮地ニ追イヤラレルト、ココマデ平常心ヲ失ッチャウモノナノカナ」
「どんな理由であれ、戦争は絶対に正当化できないことだ。……だけどなテテロ」
 ヴァルクスをロープで縛り上げながら話していたクロリアは、一度言葉を切り、テテロの方を向いた。彼が浮かべた微笑は、どこか自嘲的な色を帯びている。
「そんなこと言ってる俺たちだって、こうして暴力でしか物事を解決できない、愚かな存在なんだぜ……」
「甘イ人間ハ生キテユケナイ……。マンザラ、間違イデモナイノカナ?」
「さあな。俺にはもう、分からないよ……」
 自分の愚かさ。無力さ。小ささ。信念と現実との、あまりに大きな差。ヴァルクスの狂ったような声と、フィレーネの救いを求める声が、クロリアの頭の奥で鳴り響く。
 何か思い詰めている彼の様子を不安に思い、テテロは顔を覗き込んだ。だがうつむいたその顔は、さらりとした空色の髪に隠れて、見ることができなかった。
「くろりあ……」
 その時だ。
 ズギュン!
 テテロの大きな翼に風穴が空いた。続けざまに、右足と左肩からも鮮血が吹き出す。事態を把握できないテテロと、その様子を目の当たりにするクロリア。何枚も宙を舞う羽根。それに混じって飛び散る真紅の血。テテロの向こうに見えるのはひとりの男。兵装をした彼が構えているのは、鈍く光る拳銃。
「テテロ!」
 バサリと音を立てて倒れ伏すテテロ。床のカーペットを、流れたばかりの彼の血が真っ赤に染めてゆく。平静を失ったクロリアは、番兵の次の標的が自分だということを認識できなかった。
 ドチュン。
「ぐ……!」
 ひざまずいた状態から身を起こそうとしたクロリアの脇腹を、弾丸が貫いた。立ち上がりかけていたクロリアの足が、がくりと折れる。短い呻き声を上げたその口から、僅かに血が吐き出された。傷ついた脇腹を押さえ、痛みに歯を食い縛りながら、前の番兵を見上げる。まだ降ろされていないその銃口は、真っ直ぐに自分の方を向いていた。
 まずい。
 そう思って逃げようとするが、体は思うように動いてくれない。思った以上に出血も激しく、視界がぼんやりと揺れた。トリガーにかかった番兵の指に力がこもる。テテロが自分の名を呼んだ気がした。
 パァン。
 ……どさっ。
 高めの銃声。それに続く、何かが倒れる音。目を瞑っていたクロリアは、うっすらとその瞼を持ち上げた。次の瞬間、その目はカッと見開かれた。
 男が死んでいる。銃を構えていた番兵が、白目を剥き出したまま、胸から血を流して。
 理解できなかった。体中が凍った。頭が真っ白になった。今の今まで生きていた人間が、ここまであっさりと死んだ。テテロも首をもたげ、身動きひとつしない男の亡骸を見つめていた。
 冷たい沈黙を破ったのは、ひとりの若者が、もう動かない番兵に向かって話しかける声。
「邪魔をするな。俺が殺る相手だ」
 クロリアが我に返る。
 彼の背後の窓枠に、拳銃を手にした何者かがいた。その銃口からは、青白い煙がうっすらと伸びている。たった今番兵を撃った張本人だということを、その細い煙が物語っていた。目だけを残して顔面を布で覆い、体には漆黒のマントを纏っているので、人物の判別はつかない。だが、声の質からして少年だ。ちょうどクロリアと同い年くらいの。
 ――そう。ちょうどクロリアと同い年くらいの。しかも、クロリアには聞き覚えのある。
「お前……!」
 クロリアの声は、番兵たちの「いたぞー!」という声や慌ただしい足音に邪魔され、中断された。大勢の人間がこの部屋に向かってくる。それを聞きつけ、扉の方を振り返るクロリアとテテロ。だが、そうして目を離した一瞬の隙に、謎の少年はその場から忽然と消えていた。
「く……逃げられた!」
「くろりあ、ココヲ出ヨウ。早ク!」
 確かにここで番兵たちに捕まっては、計画が台無しになる。クロリアは謎の少年のことを諦めざるを得なかった。彼を追いかけたい気持ちを抑え、脱出準備に取り掛かる。
 廊下に繋がる扉はひとつ。いずれそこからは番兵が来る。となると、脱出口は窓しかない。だが侵入時に階段を登った量からして、ここは相当な高さのはずだ。飛び降りることは不可能。ロープを降ろして脱出したいところだが、持っていた物はこれまでに全て使ってしまった。つまりこれは、あるひとつの結論を指し示していた。
「テテロ、お前飛べるか?」
「分カラナイ……。デモ、ヤラレタ翼ハ一枚ダケダシ、ソレシカ方法ナイヨナ?」
「……頼むぜ!」
 クロリアとテテロがふらつきながら立ち上がる。特にテテロは出血多量なのだから、今の状態で飛行するのは危険だ。だが、今はこれしかない。
 負傷した足を引きずりながら、テテロは窓枠に足をかける。クロリアがテテロの背に跨ると、彼は傷を負ったもの以外の翼五枚を広げた。もう番兵たちの声は間近に迫っている。
「今だ!」
 クロリアのかけ声と同時に、二人はその身を暗闇へ放り投げた。
 テテロは余力を振り絞り、五枚の翼を懸命に動かす。クロリアが振り返ってみると、数人の番兵が窓から顔を覗かせ、何か叫んでいた。広い庭を飛び、鉄製の門を追い越して、竜と少年はアトルスの住宅街へと姿を消した。





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