「アルゼン!」 クロリアの口が、思わず目の前にいる人物の名を紡いだ。突然の呼び捨てにジンとレディスタが面食らう。 「クロリア、知り合いなの?」 「ああ……旅の途中に一度会ったんだ」 「ダケド、ドウシテコンナトコロニ? マサカ、らんてお島ヲ見捨テタナンテコトハ……」 当然の質問を投げかけるテテロに、アルゼンは可笑しそうに笑って答えた。 「勿論そんなことはありませんよ。……そうですね、話せば長くなりますから、まずは皆さん、中へお入り下さい」 丁寧な口調でそう言ってから、アルゼンはくるりと背を向けて奥へと戻っていった。訳がわからないままのクロリアたちが、その後に続く。 通された部屋は、簡素だが上品な雰囲気のある空間だった。部屋全体が円形をしていて、その中央にもまた、円形のテーブルが置いてある。クロリアたちはアルゼンと共に、その円卓に着いた。 「さて、何からお話しましょうか……」 アルゼンの紅色の唇が開かれる。 「まずランテオのことですが、あの島にはもう、ごく少数の民しか残っていません。大半は私と共に、このノイエンの洞窟へやって来ました」 「何のために……」 クロリアが静かに問うと、アルゼンは凛とした声で言った。 「『盾』になるためです」 「『盾』?」 彼女ははっきりと頷いた。 「人と竜との関係が、もはや歯止めがきかないほど悪化しているのは、あなた方も身をもって知っていることでしょう。近いうちに世界大戦は勃発します。その正面衝突を止めるために立てられたのがこの組織です」 「止めるって……一体どうするおつもりなんですか? 戦争なんて簡単に止められるものじゃありませんし、そのために武力を使ってしまったら結局同じことなんじゃ……」 心配そうに言うレディスタに視線を送って、アルゼンはこう続ける。 「武力は用いません。私たち自身が戦の最前線に立ち、文字通り『盾』となって軍事衝突を止めるのです」 想像もしなかった答えに、レディスタたちは絶句した。つまり、何の武装をすることもなく戦場に割って入るというのか? 自分たちの命も顧みず、ただただ死んでいくのを覚悟で。 「お言葉ですが」 沈黙に満ちていた部屋にジンの声が響いた。 「無謀です。確かに人軍や竜軍も、殺す必要のない一般市民がいきなり戦場に現れれば、一瞬攻撃をためらうでしょう。……しかしあくまで『一瞬』です。そこで戦闘が行われると知っていてわざわざやって来たのだから、犠牲が出たとしてもそれはそちらの責任だ――両軍ともそう主張して、構わず戦い続けるでしょうね」 しかしアルゼンは、それを聞いても微塵の戸惑いも見せなかった。冷静そのものの表情で、ゆっくりと瞼を閉じる。 「……確かにその通りです。もしそれを行うのが『一般市民だけ』だったとすれば」 ジンが怪訝そうな顔をアルゼンに向けると、彼女は真剣な眼差しで彼を見据えた。 「このノイエンの洞窟にいるのは全て、自ら『盾』となることを望んだ者たちです。種族も血統も地位すらも捨てて、意志のみで集まっているのです」 それで、というような視線で、ジンが先を促す。 「――竜王のご令嬢ガラ王女。デルテティヌ軍大将のご子息ルーシュ中佐。幻獣の一派であるエマ族族長のシュクラ様と、そのお世継ぎであらせられるベギート様。そして獣人の長である私、アルゼン――。これらの名前が何を意味するかご存知ですか?」 「ウーン……偉イ人?」 テテロが首を傾げながら呟く。アルゼンは少しだけ微笑んで先を続けた。 「そう、これからの世界を担うのに不可欠な人物ばかりです。仮に両軍が戦を続けたとしても、こういった存在を失ってしまっては元も子もない……」 ジンはハッと目を見開いた。彼が行き着いた結論を肯定するように、アルゼンはゆっくりと頷いた。 「――今挙げたのは、全て『盾』のメンバーなのです。それ以外にも次世代の指導者、権力者に当たる方々が多く参加していらっしゃいます。もしこのような方々が体を張って戦を止めにかかれば、両軍とも容易には攻撃できないでしょう」 「ちょっと待て! それじゃまるで、ただの人質作戦じゃないか。そんな卑怯なこと……」 思わず立ち上がったクロリアに、彼女は落ち着くよう促した。 「言ったはずです。私たちは全員、自らの意志でこの地に集まったのだと。今挙げた方々も、決して例外ではないのです。それに私とて、皆をみすみす死なせるつもりはありません。私たちの最終目的は、あくまで戦争を阻止することなのですから。……あなただってそれを願っているのでしょう? 忌まわしい予言を食い止めるため、何か行動を起こさなければと思っている。しかしその『何か』を見つけられないでいる……。違いますか?」 予想もしなかった言葉が次々にアルゼンの口から飛び出し、クロリアは困惑した。彼女の意味ありげな眼差しに射すくめられて、身動きがとれない。そして突然、途方もなく大きな渦に巻き込まれていく感覚が彼を襲った。 ――ランテオ島で会ったときから、彼女とは一切接触していない。それなのに何故、彼女はそんなことを知っている? まるで心の中を見透かしているように、次々と的確な言葉を投げかけてくる。彼女は自分のことを、どこまで知っている――? 「あなたの力が必要なのです、クロリア」 錆びついていた歯車が、動き出した。 「先日、あなた方が予言を食い止めるために動き出したことを、偵察の者から聞きました。『狩人』が『許されざる者』と手を組んだ、と」 まさかあなたがあの『許されざる者』だったとは……。そう言ってアルゼンは、自分の洞察力のなさを自嘲するように微笑んだ。 「それで、私はあなた方をここへ呼んだのです。そのためにレディスタさんをさらうという手荒な真似をして、本当に申し訳ありませんでした。しかしそうするしかなかった。人と竜が友好的にしているところを誰かに見られたら、それこそ怪しまれるでしょうから」 「待って下さい!」 突然レディスタが割って入った。戸惑いと不安に満ちた瞳でアルゼンを見つめている。 「何で、何で私の名前を知っているんですか? 呼び出したいのがクロリアたちだけなら、どうして私をここに連れてきたんですか?」 そう、あの紅の竜も自分の名前を知っていた。それにあのとき、彼はこうも言っていたのだ。全てはあなたのためなのだ――と。 「私を、どうするつもりなんですか……」 アルゼンは変わらない穏やかな表情で、彼女の必死な声を聞いていた。 「……そうですね。驚かせてしまってすみませんでした。しかしそれは私の口からご説明するよりも――。ああラスター、丁度よいところに」 話の途中、奥の扉からひとりの獣人が現れた。猫の姿をした彼も、大きさは人間とさほど変わらない。白色と琥珀色で彩られた服をまとって凛々しく直立している姿は、どことなく、今は亡き兎の獣人を思わせた。 「お話の最中に申し訳ありません、アルゼン様」 「いえ、良いのです。……この者はラスター。隻眼ですがとても腕の立つ医師です」 深々とお辞儀をしていた獣人は、ゆっくりと顔を上げた。右目に大きな傷跡があり、開いているのはもう一方の目だけだ。加えて終始真顔のままで、まるで表情筋が固まっているのではないかと思うほどだった。医者と言うにはいささか威圧感のある容貌だ。 アルゼンがゆっくりとレディスタの方を振り返った。 「レディスタさん、納得のいかないことが多いだろうことは、私も承知しております。しかし今はどうか、彼についていって頂けませんか。真実は全て、彼が話してくれるはずです」 「レディスタ殿、こちらへ」 ラスターが丁寧に、しかし有無を言わせないような声色で促した。レディスタは不安そうにクロリアたちを振り返ってから、彼に連れられて部屋を去った。 残された三人に向かい、アルゼンはひとつ息をついてから、そっと口を開いた。ルビーのような真紅の瞳は、わずかに憂いの色を帯びていた。 「レディスタさんをここへ連れてきたのは、彼女のためでもあるのです。ラスターの予想が正しければ、恐らく彼女は……」 獣人の医師はカツカツと靴音を立てながら、長い廊下を歩いていった。緊張した面持ちのレディスタが、無言でその後をついていく。二つの足音が、沈黙した廊下に響く。 「……私のことが恐ろしいですか」 突然低い声で話しかけられて、レディスタは思わずビクッと身を震わせた。足を止めて振り返ったラスターは、相変わらずの気難しそうな顔をしている。するとラスターはおもむろに、右目の傷に指を当てた。 「昔、とある兵舎病院で働いていましてね。これはそのとき戦闘に巻き込まれて負った傷です。大抵の者はこの話をした途端、私の顔から目を背けてしまう。……私からしてみれば、そういった痛々しい現実から目を逸らそうとする心理の方が、ずっと恐ろしいのですが」 だからこそ、と彼は続けた。 「あなたには是非、知っておいてもらいたいことがあるのです。手遅れになる前に」 言いながら、彼は目の前のドアを押し開いた。独特の薬品臭がつんと鼻をつく。ここが彼の診療室のようだ。 ラスターはレディスタを中央の丸椅子に座らせて、自分もデスクの回転椅子に腰掛けた。 「右腕を、見せてもらえますか」 レディスタは少しためらってから、ゆっくりと右袖をまくった。得体の知れない機械に侵食された肌が露わになる。何度見ても慣れない、おぞましい光景だった。 ラスターは「失礼」と短く断わってから、レディスタの右腕を持ち上げた。そのまましばらく無言であちこちさすったり観察したりしていたが、間もなく目を細めて「やはり……」と呟いた。レディスタが何のことかと思っていると、彼は不意に顔を上げ、彼女の綺麗な金の瞳を見つめて告げた。 「これは病気などではない……。何者かが意図的に植えつけた、兵器です」 |