運命に、抗え。







第一話 隠されの町



 ――停戦だ、クロリア。二ツ月の年まであと二十日、俺は『狩人』の名を捨てる。世界を滅ぼす『許されざる者』になり下がりたくないのなら、それまでに予言の実現を食い止めろ。だがもし歴史を変えられなかったら……二十一日目の零時、お前を殺す。



「眠れないのか」
 ジンの静かな問いかけを聞いて、クロリアはふと顔を上げた。
 星の綺麗な夜だった。列車は今なお止まらず、どこか安全な場所を目指して走り続けている。車両の中はトレーユの避難民で溢れかえっていたので、クロリアたちは最後尾のデッキでそのまま夜を明かすことになった。
 時刻を知る術がないからわからないが、おそらく今は、日付もとっくに変わった頃だろう。レディスタはクロリアの膝に頭を預けてすやすやと寝入っているし、ラジオに戻ったテテロもノイズ混じりの寝息を立てていた。
 クロリアが小さく微笑んで答える。
「そういうお前もな」
「俺はこんなところで無防備になりたくないだけだ」
「言ってることとやってることが違わないか?」
 漆黒のマントを布団のようにかけて横になっているジンを見て、クロリアが可笑しそうに笑った。つられて、ジンもぎこちなく破顔する。
「……まだ信じられないよ。こうやって、お前と行動を共にしてるなんて」
 クロリアの眼が、遠く煌く星たちを移しだす。頭上にめいっぱい広がる夜空がそのまま凝縮されたような、深い蒼の瞳だ。
「勘違いするな、俺はお前を許したわけじゃない。自分が持ちかけた契約どおりにしている、ただそれだけのことだ」
「わかってる。俺だって、それでいいと思ったから受け入れた」
 でも、とクロリアは続ける。
「レッドには、また重いものを背負わせちまったな……」
 レディスタの滑らかな髪をそっとかき上げながら、クロリアは落とすように呟いた。
 崩壊したトレーユの町を離れてから、レディスタはクロリアとジンの間に何があったのか教えるよう、しつこく迫ってきた。今の彼女は重い病とか辛い過去とか、いろいろなものを抱え込みすぎている。ただでさえそんなもろい状態なのに、これ以上厄介なことに関わらせるわけにはいかない。そう思ったクロリアは断固として拒否したが、最終的には、レディスタの執念にあえなく敗れることとなった。そして語ったのだ。クロリアの中の『許されざる者』の力が解放されたこと。そしてジンと結んだ、停戦の契約のことを。
「あと、二十日……」
 唐突な呟きだったが、言わずもがな、ジンはその言葉の意味を察した。
 忌まわしい予言を覆すためには、二ツ月の年までに全てを阻止しなければならない。今にも勃発しようとしている大戦争、世界の破滅を唱える予言、そしてまだ誰も知らない、クロリアの中に眠る狂気を――。自分が自分でなくなる前に、何としてでも止めなくてはならないのだ。だがそのために残された時間は、たったの二十日。あまりに過酷で無情な条件だった。
 両手を目の前に差し出す。手袋だけでは覆い隠せないほどに広がってしまった刻印。逃避を許さない、束縛の証。
「……俺には、何ができる?」
 誰よりも力があるはずなのに、誰よりも無力なこの手で。



「終点、デルテティヌに到着!」
 駅員の高らかな声が、その地の名を告げた。シューッという溜息のような音を立てて、列車が完全に停止する。一夜越しで走り続けた汽車は、空が明るさを取り戻し始めた早朝、やっと目的地に辿りついた。
「ウワア……昨日マデトハ打ッテ変ワッテ、ッテ感ジダネ!」
 ラジオ姿のテテロが、スピーカー越しに感嘆の声を上げた。
 天井が高くしっかりとした構造の駅は、広々とした空間の中に幾つものプラットフォームを持っている。そこには自分たちの汽車以外に、貨物車や輸送車などが何台も停まっていた。まだ夜が明けて間もないというのに、たくさんの人々がフォームを行き来している。いかにも主要都市の駅だと窺わせる風景だった。ここしばらく辺境地帯を彷徨っていたクロリアたちにとっては、久々の都会だ。
「デルテティヌ。そうか、だから車掌は……」
「ジン?」
 意味深な声で呟くジンに、レディスタが不思議そうな顔を向ける。見てみると、クロリアも彼の言葉の意味を知っているようだった。戸惑うレディスタに、ジンは鋭い目つきをして短く告げる。
「――デルテティヌは、世界一の戦力を誇る軍事都市だ」
 レディスタが思わず息を呑んだ。
「それだけじゃない。その膨大な軍事力に物を言わせて、世界中の人軍を動かすことすらできる。地下には巨大な、軍事開発用の施設もあるって話だ。それほどの力を持っているところへ身を寄せれば安全……そう考えたんだろうな」
 重々しく語るジンに、レディスタは慌てて言う。
「で、でも! ここなら病人やけが人もちゃんとした治療を受けられるし……物騒なことばっかりじゃないよ、ね!」
「ああ、厄介なことに巻き込まれなければな」
「ジン!」
 容赦なく現実を押し付けてくるジンを、クロリアが諌める。するとジンは変わらない表情のまま、彼の方を見やった。
「甘いな、お前は。竜と人の緊張は日に日に高まっているし、現に人の住む町がいくつも襲われているんだ。いつ激しい軍事衝突が起こってもおかしくな――」
「れっど、後ロ!」
 突如テテロが叫んだ。きょとんとしているレディスタの背後に、何者かが立っている。クロリアとジンがハッと息を呑んだ瞬間、その者は彼女を背後からしっかりと捕らえた。
「や、何……!」
 叫び声を上げようとするレディスタの口を塞ぎ、誘拐犯は音もなく線路の上へ飛び降りた。人をひとり抱えているというのに、その動きは恐ろしく俊敏で、とても人間のものとは思えない。――否、その通り、彼は人間ではなかった。竜だ。燃え盛るような真紅の体に、たくましい二枚の翼を携えている。
 蛇のような瞳孔の細長い目で背後を一瞥すると、竜はあっという間に駅の外へと飛び去った。プラットフォームの上からその姿を目撃した人々が、口々に悲鳴をあげる。
「レッド!」
 クロリアとジンが後を追いかけた。しかしいくら彼らの身体能力が卓越しているとはいえ、相手は竜、しかも空を飛んでいるのだ。スピードで敵うはずがない。竜の飛んでいった方向を見失わないように気をつけながら、クロリアたちは急いで駅の外に出た。辺りに人目がないのを確認して、クロリアが叫ぶ。
「テテロ、頼む!」
「リョーカイッ!」
 クロリアの腰にぶら下がっていたラジオが眩い光を放った。光は瞬時に翼竜の姿を形作る。元に戻ったテテロはすぐさま、クロリアとジンを掬い上げるようにして背に乗せた。普段よりも翼を大きく広げて、勢いよく空中へ舞い上がる。
 力強く羽ばたきながら、テテロはきょろきょろと辺りを見回した。
「ウーン、見失ッチャッタネェ……」
 レディスタを連れ去った紅竜の姿は、空の上から探してもどこにも見当たらなかった。どうやらすっかり逃げ切られてしまったようだ。
「コッチノ方向ニ飛ンデッタノハ確カダケド……ソレダケジャナァ」
「どうかな?」
 テテロの背後で、クロリアが落ち着き払った様子で言った。
「見えないってことはつまり、どこかに身を隠したってことだろ? いくら竜でも、こんな短時間でそこまで遠くに行けるはずがない。この近くで隠れられそうな場所、かつ竜が立ち入りやすいところって言ったら……」
 クロリアは目の前のある一点を指差した。眼下に見えるのは、郊外に建てられた家々と、赤い岩ばかりの荒地、そして――。
「森だ」



「――放してっ、放してよ!」
 樹海を器用にくぐり抜けながら、紅い翼竜が猛スピードで飛んでいく。その腕の中で、レディスタは無駄な抵抗だと知っていながら必死にもがいていた。彼女の体は腕ごとがっちりと、竜の長い爪に掴まれている。
 やっと辿りついた街から、クロリアたちから、どんどん引き離されていく。どこへ連れて行かれるんだろう。私はどうなるんだろう。嫌だ。もう、ひとりになるのは嫌だ……。
「ご安心下さい」
 涙目になっているレディスタの頭上から、優しい声が降ってきた。驚いて見上げてみると、紅の竜がしっかりと行く先を見据えながら語っている。
「決してあなた様を傷つけるようなことは致しません。全てあなた様と、あなた様のご友人方のために行っていることです」
 竜の思いがけない言葉に、レディスタは抵抗することも忘れて目を見開いた。今、彼は何と――?
 頭の中でその言葉を反復している間にも、紅の竜は翼を休めることなく、猛然と突き進んでいく。そして突然、彼らは薄暗い樹海から抜けた。何事かと思って下を覗き込んだ途端、レディスタはぎょっとした。
「な、何これ……!」
 森の中にぽっかりと空いた、崖と見間違えるほどの巨大な穴。そのちょうど真上に二人は浮いていた。どこまで続くか分からないほどの深さに、思わずレディスタが、ごくんと生唾を飲む。
 紅の竜はしっかりとレディスタを抱えたまま、静かに穴の中へと下りていった。
 驚いたことに、そこはただの穴ではなかった。側面には人の手が加えられて立派な生活空間になっているし、あちこちに橋も渡されている。こんなところにも住民がいるのだ。しかもざっと見るだけでも、人、竜、獣人、幻獣……色々な種族が混じり合っている。世界がこれほど緊迫した状態だというのに、未だに共存社会が残っていようとは。
 穴の半ばくらいまで降りたところで、竜はひとつの特に大きな空間に着地した。この奥に町の長がいるのだろう、制服をきちっと着込んだ兵たちがあちこちに配備されている。
 レディスタを床に下ろすと、竜は呆気ないほど簡単に手を離した。そしてすぐさま彼女の前に向き直り、突然がくりとひざまずいた。
「レディスタ様、度重なるご無礼をお許し下さい!」
「え? ちょ、ちょっと……」
 レディスタにはもう、何が何だかわからなかった。何故彼は自分の名を知っているのか。何故自分のことを連れ去っておきながら、頭を下げてくるのか。一体ここはどこなのか……。
 そこに突如、聞き慣れた声が響き渡った。
「レッド!」
 振り返ると、テテロの背に乗ったクロリアたちが真っ直ぐにこちらに向かって降りてきていた。視界に紅い竜を捉えた途端、ジンが銃の狙いを定める。レディスタはぎくりとして、反射的に竜をかばった。
「や、やめてジン!」
 あと少しで発砲しそうだったジンは、すんでのところで銃口を背けた。危うくレディスタを撃ち抜くところだった――ジンの額を冷や汗が伝う。
「馬鹿! お前何して……」
「わからない、わからないけど……何か訳があるみたいなの。だから撃たないで!」
 状況がまったく呑み込めないまま、ひとまずクロリアたちはレディスタのもとへ降りた。しかし兵士たちは微動だにしない――この町では、自分たちは明らかな不審者であるはずなのに。その場に突っ立ったまま、四人はただただ困惑していた。
 そのとき、奥の大きな扉がゆっくりと開いた。なるほど、長と面会させるつもりなのか。そんなことを考えていた矢先、クロリアは思いがけないものを目にした。
 扉の向こうから現れたのは、ひとりの女性。重厚な真珠色のガウンを羽織り、滑らかに照り輝くビリジアンのドレスと共に、揺るぎない威厳までもまとっている。混じりけのない美麗な金の髪から猫の耳を覗かせ、真紅の瞳で前を見据え、堂々とした足取りでこちらへ歩いてくる。そう、それは忘れもしない、愛すべき獣人たちの統率者――。
「ようこそ。隠されの町、ノイエンへ」





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