第二話 奇跡の町



 光の降り注ぐ丘に、その町はあった。立ち並ぶ住宅、点在する広場、賑わう店。白い壁に、色とりどりの屋根。楽しそうに話しながら道を行く人たち。鮮やかに咲く花々――。怒りや悲しみなどの負の感情は、そこには微塵も感じられなかった。
「良いところだな」
 クロリアの口から、自然と言葉が零れる。
 ミラは彼に、町のことを色々話して聞かせてくれた。彼女は町から外れたところに済んでいるのに、この辺りについて随分詳しいようだった。尋ねてみると、よく町中へは遊びに来るのだという。道を早足で歩いていくミラは、キラキラと輝くように笑っていた。本当にこの町が好きなのだ、とクロリアは思った。
 二人は町の中心部まで足を進めた。するととある一角の建物の前に、白い鳥が集まっているのが見えた。
「あれ、郵便局なんです。伝書鳩の足に手紙を括りつけると、配達してくれるんですよ」
 不思議そうに眺めるクロリアに、ミラは言った。群れる鳩たちの真ん中にいる物柔らかそうな男が、二人に手を振ってきた。ミラが軽く会釈を返す。すると突然、鳩たちがクロリアの方に飛んできた。
「わっ……!?」
 慌てるクロリア。鳩たちは次々と彼の元まで飛んできて、その肩や腕へ留まっていった。白く覆い尽くされてしまったクロリアを見て、鳩使いの男が楽しそうに笑った。
「お前さん、この子らに好かれたみたいだな。賢い鳩たちだ、あんたが良い人間だってのを見抜いたんだろう」
 クロリアの目が、一羽の鳩の視線と合った。鳩は穏やかな瞳でクロリアを見つめている。どうやら本当に彼らは、自分を好いてしまったらしい。クロリアの顔に、優しい微笑が浮かんだ。
「ここらでは見かけない顔だな。新入りかい?」
「えぇ。ついさっき、この町にやって来たんです。旅の再会まで、ここに滞在するつもりです」
 クロリアが答えると男は、いっそのこと住み着いてしまえばいいのに、と言って笑った。が、突然その目つきが真剣になった。クロリアのことをじっと見ている。そして突発的に、ハッと息を呑んだ。
「あんたまさか……」
 何事かという顔をするクロリアとミラ。彼らのことなどお構いなしに、鳩使いはいきなり、クロリアの手袋を片方、むしり取るように剥いだ。クロリアの瞳に恐怖の色が差した。男とミラの目が見開かれた。
「やはり……お前さん、『許されざる者』か!」
 辺りの人々の目が、一斉にクロリアの方を向いた。鳩が一気に舞い上がる。
 男の目は、クロリアの手のひらに釘付けになっていた。くっきりとした、痛々しい、悪魔の刻印に――。
 クロリアは目を逸らした。見たくなかった。向き合いたくなかった。愕然とする皆の顔とも、自分の呪われた紋章とも、自分自身とも。
「――ミラ」
 クロリアが、ぽつりと言う。
「やっぱり、予定変更だ。俺、今すぐここを出ていくよ。ここの人たちにも、ミラにも、迷惑かけたくないから……」
 ミラが息を呑んだ。クロリアは哀しげな笑みを浮かべ、ミラを見る。彼女は、不安とも怖れとも、同情ともつかないような顔をしていた。そんな彼女にクロリアは「ごめん、黙ってて」とだけ言い残し、その場を去ろうとした。
 が、そのときだった。
「待って、クロリアさん!」
 クロリアは手袋の取れた左手に、何かが触れるのを感じた。振り返った先にはミラがいた。彼女の両手が、クロリアの左手をそっと捕まえていた。
「私、あなたが誰であろうと……『許されざる者』であろうと、関係ないです。だってあなたは、何も私たちに危害を加えていないでしょう? 本当に悪い心の持ち主だったら、とっくに私たちを傷つけ、殺しているでしょう?」
 ミラの顔は、必死だった。
「私、クロリアさんみたいに優しい人を、この町から追い出したくないんです。それに鳩たちだって、あなたを善良な人だと認めたでしょう? 私もそう思うから……。だからクロリアさん、お願い……」
 久しぶりに伝わる、人の温かみ。手袋越しではない、彼女の優しい温もりを、クロリアは確かに感じた。
 ミラの後ろで、鳩使いの男が言った。
「さっきは大声を上げて、済まなかった。お嬢さんの言うとおりさ。俺らが見るのは、人の通り名とか、評判じゃない。その人の、本当の心なんだ。さっきはまぁ……驚いちまったけど、でもあんたっていう『人間』は否定しちゃいないよ」
 するとその場に居合わせた人々も、「そうさ」「お前さんは、本当は良い奴なんだろ」「歓迎するよ」と口々に言って、クロリアの周りに集まってきた。思いがけない展開に驚くクロリアに、ミラはふんわり笑いかける。
「ね、クロリアさん」
「……ありがとう、ミラ」
 初めてクロリアは、自分を認めてくれる場所を見つけた気がした。



 その夜は、満点の星空だった。ミラの家のブロック塀に腰掛けて、クロリアは空を見上げていた。隣にはテテロがいる。ミラはもう眠ってしまったようだ。
 夜風が二人の間をするりと抜けていった。
「久シブリダネ」
「何が?」
「コウヤッテノンビリスルノガ」
 テテロの呟きは、幸福感でいっぱいだった。クロリアも笑顔を浮かべた。
「凄ク良イ町ダヨ、ココハ。竜モ人間モ仲良シダシ、皆ニコニコ笑ッテルンダ。シカモ竜タチカラ、明日モ遊ボウッテ誘ワレチャッタ!」
「そうだな。……ここの人たち、俺が『許されざる者』だって知っても、全然気にしないで接してくれるしな」
「本当!?」
 クロリアの言葉に、テテロは驚きを隠せない。
 普通なら人々は、あまりの恐怖に逃げ出すとか、その場でクロリアを殺してしまおうとする。そもそも、それが自然で当たり前なことなのだ。クロリアは人外の生き物。存在してはいけないモノ。悪魔と天使の混血種なのだから。
 ところが今日出会った人々は違った。クロリアを『人間』として見てくれた。今まで彼をそうして認めてくれるのは、テテロと幼馴染み、そしてリト爺だけだった。それ故今のクロリアの胸の中は、温かな思いで満ちている。帰る場所も、受け入れてくれる故郷もない、自分の存在して良い場所を見つけられなかったクロリアにとって、この地はまさに『奇跡の町』だった。
「……何ダカ、ココヲ離レタクナイネ」
 苦笑混じりに言うテテロ。しかしその言葉には、少しだけ本音が混じっているのをクロリアは感じた。そしてクロリアも同じ思いだった。ただ、現実から目を逸らしては行けないという義務感があるから、正直にそう言えないだけで。
 ……ひゅん。
「ア、流レ星!」
 クロリアがハッとして上を見上げる。一筋の光が、地平線に向かって真っ直ぐに落ちていった。続けてもう一つ、更にもう一回……。儚くも、確かにそこに眩しい輝きを残して、美しく散っていく。やがて流れ星たちは、そっと消えた。空はまた元のように静かになった。
「何か願い事した?」
 クロリアが問う。テテロは満面の笑顔で、大きく頷いた。
「勿論! 明日モマタ美味シイ食事ニアリツケマスヨウニ、ッテ!」
「……ほんとそればっかだな、お前って」
「悪イ?」
「いや。俺の分の食事さえ食わなきゃね」
 二人は笑った。もうどれくらいぶりなのだろうか、こうして他愛のない話で、心から笑いあうなんて。いつも切羽詰まって、目先のことで頭がいっぱいになって。恨みと憎しみと悲しみばかりが溢れる世界を歩いて――。でも今は違う。楽しいものを楽しいと、美しいものを美しいと、正直にそう感じられる。
「幸せ……って、こういうことを言うのかな」
 旅人の呟きは、そよ風にそっと運ばれていった。





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