「止ミソウニナイネェ……」 テテロは雨に霞んだ水平線を見つめ、呟いた。 降り続く長雨。クロリアとテテロは朝方、ランテオ島から見事、奇跡の脱出を果たした。ところが大陸へ戻る途中、突然雲行きが怪しくなりだしたのだ。岸辺に見つけた小さな洞窟のお陰で、直撃は免れることができた。が、二人の旅を邪魔するつもりなのか、雨は一向に止む気配を見せない。少しでも雨足が弱まれば近くの町へ行けるだろうに……テテロはもどかしい思いを呑み込んだ。 「焦るなよ。これくらいの時間、すぐに挽回できるさ。どうせ一日で降り止むよ」 焦れったそうにするテテロと対照的に、クロリアは落ち着いたものだった。そんな悠長な……という目で、テテロはクロリアを見る。洞窟の隅に横になって、コートを布団のようにして掛けているクロリアは、微笑みながら言う。 「こういうときこそちゃんと休憩取って、明日に活かせるようにしなきゃ。だろ?」 「明日モ降ッテタラ?」 「そのときはまた考えるよ」 テテロの溜息が洞窟の中を満たした。 「お前だって、ランテオの一件で疲れてるだろ。少し休んだら?」 「俺ハくろりあミタイニ呑気ジャナイノ」 ぶすっとしたテテロの声に、クロリアは苦笑した。 「大体、ソンナノンビリシタ旅ジャナインダヨ? 『二ツ月ノ年』マデ後少シ……一番焦ラナキャイケナイノハくろりあダロ? 残サレタ時間ハ、本当ニ短インダ。ジャナキャ……」 そこまで言って、テテロがもう一度クロリアを振り返る。途端、テテロは拍子抜けしてしまった。 クロリアは静かに寝息を立てていた。その顔はとても安らかで、汚れというものを感じさせない。少女のように綺麗な、優しい寝顔だった。 「……サッパリ判ラナイヤ、俺」 いろいろな意味が、そこには込められていた。一体この雨がいつまで降り続くのか、なぜクロリアがこんなにのんびりしていられるのか――そして、なぜこんな綺麗な寝顔を見せるクロリアが、将来世界を滅ぼす『許されざる者』なのか。 でも、きっと止めてみせる。以前クロリアが復讐の念に駆られていた自分を助けてくれたように、いつか現れるだろうクロリアの狂気を、自分が止めてみせる。クロリアを助けてみせる。その方法はまだ判らないけれど、きっと……。 そんなことを考えているうちに、いつしかテテロも、深い眠りについていた。 ふわ……。 顔を吹き抜けていったそよ風で、クロリアは目覚めた。瞼をそっと持ち上げる。ゆっくりと身を起こし、辺りを見回した。途端、クロリアはハッと息を呑んだ。 そこは洞窟ではなかった。白い壁には植物の蔓が這い、色とりどりの果実と花が見られた。天窓から柔らかな日射しが降り注いでいる。扉は開け放たれ、四角く切り取られた庭園が覗いていた。草と花と清水の香りが、風に乗って流れてくる。クロリアの体は真っ白なシーツのベッドに横たえられ、テテロはふかふかの絨毯の上で、気持ちよさそうに眠っていた。 枕元に置いてあったコートを腕に掛けて、クロリアは庭へ出た。優しい午後の風が、彼の蒼い髪をそっと撫でていく。目の前に広がる庭園には、白亜の石で造られた噴水が据えられていた。見たこともない花や草が生い茂り、美麗な小鳥や可愛らしい幻獣たちがあちこちで戯れている。どこを見ても平和そのものだった。自分たちがいたはずの洞窟と砂浜と海の影は、どこにもない。穏やかで優しい、心のわだかまりを取り払ってくれるような風景が、そこには広がっていた。 「ここは……」 驚きと感動が入り交じった声で、クロリアは呟いた。 と、どこからか足音が聞こえた。クロリアが振り返る。その視線の先にいたのは、一人の少女だった。淡いピンクの長髪と、身にまとった柔らかなドレスを軽やかに風になびかせ、ふんわりした微笑を浮かべて、彼女はそこに立っていた。 「いらっしゃい」 少女は名をミラと言った。クロリアと、後から目覚めたテテロは、彼女にお茶を振る舞われていた。庭に咲いていた花と、同じ香りのする紅茶だった。テテロは相変わらず、食欲に任せてパンを頬張っている。無邪気なその様子を見て、ミラは思わずクスリと笑った。 「……そういえば、ミラ、ここは一体……?」 ふとクロリアが、口に運んでいたティーカップを止めて尋ねた。自分たちが旅をしていること、その途中洞窟で眠っていたら、いつの間にかここへやってきていたことなど、いきさつを軽く話して聞かせる。ミラは可愛らしい笑みを浮かべ、「驚くのも無理ないです」と言った。 「ここは『奇跡の町』なんです。ティエルって、聞いたことありませんか」 クロリアとテテロが軽く頭を横に振ると、ミラは続けた。 「このティエルの町は、入ろうと思って入れる場所ではないんです。本当に突然、何の前触れもなしに迷い込んでしまう、幻の町なんです」 「みらモソノ一人ナノ?」 ミラはテテロに、こくりと頷いて見せた。 「半年ほど前にここへ来て、そのまま暮らしています。詳しいことは町の創造主様――ラファエル様にお尋ねすると良いかもしれませんね」 「そのラファエルって人は、今どこに?」 「今は確か、町にはいらっしゃらないと思います。何かお仕事があるとか……。明日か明後日にはお帰りになるようです」 クロリアは「そうか……」とだけ呟き、顎に手を当てて考え込んだ。ミラがきょとんとして、そっと尋ねる。 「何か……?」 「いや。ただ、また出発が遅れるな……と思ってね」 「俺達、旅ヲシテルンダヨ。アンマリ長居シテラレナインダ」 「ただでさえ雨で足止め食ってたしな」 ミラの顔が少しだけ陰った。それに気づき、クロリアが慌てて言う。 「でもこれじゃ、この町を出ようにも出られないしさ。しばらくはここに滞在することになりそうだよ。それに俺もテテロも、少しは休みが必要だし……」 それを聞いたミラの表情に、また光が差した。「是非、ゆっくりしていってください」と、嬉しそうににっこり笑う彼女は、本当に綺麗だった。 そのときだった。 「ア、竜!」 テテロがはじかれたように立ち上がった。クロリアとミラが彼の見ている方向に目をやる。庭の外に広がる草原の一角で、何匹かの竜が無邪気に遊んでいた。テテロにとっては、久々に見る仲間たちだった。「くろりあ、俺行ッテクル!」とだけ言い残して、テテロは待ちきれないと言わんばかりに飛んでいった。クロリアの顔が、思わずほころぶ。 「嬉しそうですね」 「そりゃそうさ。あいつ、竜と会うのがの久しぶりなんだ。俺との旅の中では、どうしても人間との出会いの方が多いから」 自分と同じ種族となかなか触れ合えないのは、無意識のうちにテテロの中にストレスとして溜まっているのだろう。すぐに竜たちとうち解けて遊びだしたテテロは、こちらまで嬉しくなってくるほど幸せそうだった。 「……なぁ、ミラ。町、案内してくれないか」 「え?」 唐突にクロリアが言う。不意をつかれて、ミラは少なからず驚いたようだった。クロリアはにこりと笑いかける。 「せっかくだしさ。何日かここで過ごすから、少し町のことも知りたい」 「でも、テテロさんは……」 「いいよ。このまま遊ばせてやりたいんだ。その方があいつも喜ぶだろうしね」 ミラがもう一度、テテロの方を見やる。そして、ふっと静かに笑って言った。 「そうですね」 二人は席を立ち、小高い丘の上に見える小さな町に向かった。やがてその姿は、草原を吹き抜けるそよ風に吸い込まれるように、そっと彼方へ消えていった。 |