「大丈夫カナ、アノ二人。ヤッパリ死ンジャウノカナ……」 「平気さ。たとえどうなったとしても、それは二人の意志なんだ。俺たちにどうこうできることじゃないだろ」 早朝の荒野を、翼竜のテテロが風を切って飛んでいた。その背にはコートをなびかせる少年、クロリアが乗っている。彼らは先日『学究の町ルロイド』を発ち、次なる町へと進んでいた。 ルロイドで出会った研究者のファルド、そして人工生命体のリヴァリスフィア。彼らは犯した過ちを死で償おうとした。もちろんクロリアとテテロは二人の死を望まなかったが、彼らの未来を強いることなく、ひとつの言葉を残して静かに町を去った。だから二人とも、あの後ファルドたちがどうなったのかは知らない。 心配そうな彼とは反対に、クロリアは彼らのことを信じきっている様子だった。地平線の彼方からじわじわと昇ってくる太陽を眩しそうに見やり、手を額にかざしながら、クロリアは続ける。 「それにファルドさんもリヴァも、最後にすごく力強い眼をしてた。信じようぜ、あの二人を」 暗黒を明るく照らし出す日の光。それはどんなに殺風景な荒野でも、同じだけの希望を感じさせる。巡りくる夜と朝。それは自分たちの手の届かない、大きな大きな流れ。 きっとファルドもリヴァリスフィアも、自分たちの意志で、納得のいく道を進むだろう。彼らの眼にはこの朝日にも似た、希望の光が灯っていたのだから。 テテロも翼を休めない程度に、その素晴らしい日の出を眺めた。 「……ソウダネ。ンー、綺麗ナ朝日!」 彼の無邪気な言葉に、クロリアも無言で頷く。 そして自分たちも進むのだ、この光に向かって。まだ形にもなっていない、しかし確実に彼らを導く何かを道しるべに。 その決意が再び胸の中に満ちたとき、クロリアはぱっと明るく笑って言った。 「よし、今日も頑張っていこうな! 次の町まであと少しだ!」 二人が楽しげに笑いあう。そうしている間にも彼らの進む先に、ぼんやりとひとつの町が見えてきた。 「じゃあリト爺、行ってくるね」 「わかった。気をつけるんじゃぞ、レッド」 「うん。こんな何もない町で、気をつけるものなんてないけどね」 冗談交じりの台詞に、少女の明るい笑い声が続く。バタンと木製の扉を閉め、彼女は町へと出ていった。 腿まで伸びる長い赤髪を緩やかに揺らし、日の光を浴びてキラリと光る綺麗な金の瞳をしたこの少女は、名をレディスタという。印象的な髪の色と名前の略から、皆からレッドとも呼ばれている彼女は、こうして散歩に出かけるのが好きだった。することがあるのでもなく、行き先も特にない。ただ自由気ままに、風まかせに歩くのが楽しい。たったそれだけだが、そんな穏やかな時間が彼女は好きだった。 しばらく歩いていると、芝生に覆われた小さな広場で、子供たちが遊んでいるのを見つけた。向こうもこちらに気付いたらしく、「レッドお姉ちゃーん!」と飛び跳ねるような足取りで駆け寄ってきた。 レディスタは無邪気に笑う子供たちに混じって、小さな仔竜や幻獣がいるのに気付いた。 「わあ、可愛いね! みんなの友達?」 「うん! こないだ、近くの森で見つけたんだ」 「そしたらね、この仔たちがあたしたちについてきたの! 今はあたしがごはんをあげてるのよ」 「お前だけじゃないだろ。昨日まではぼくがあげてたんだぞ!」 「でも今はあたしだもん!」 「はいはい、喧嘩しないの。ほら、この仔たちも困っちゃってるよ? みんな仲良くしなくっちゃ、ね」 「はーい!」 レディスタが優しく言うと、子供たちは満面の笑顔で、声を揃えて返事をした。仔竜たちも嬉しそうにキュウと鳴いた。 この平和な町こそが、有名な『共存の町シルヴィラス』である。竜も獣人も人間も、あらゆる生き物が共に生きる、世界でも数少ない共生の町だ。その穏やかな雰囲気そのままに、毎日が平和そのものである。人や竜などの種族の差を越え、誰もが幸せに暮らせる夢の地シルヴィラス。この町には、過去の大戦争の傷跡はまったくと言っていいほどない。 レディスタは子供たちとお別れに手を振って、さらに道を進んでいった。緩やかな階段を下りていくと、目の前に石造りの噴水広場が見えてくる。それに従って、彼女も自然と足早になっていく。 この町のシンボルでもある噴水は、中央広場の真ん中に佇んでいる。空には何羽もの白い鳩が飛び交い、水遊びをする子供たちや、ベンチでひと休みする人々の姿が見える。溢れる水はその穏やかさを喜ぶように、太陽の光をめいっぱい受けて煌いていた。今日もいつもと変わらない。その変わらぬ平和がレディスタは嬉しかった。 池を囲む石のブロックに座って、レディスタはそれとなく空を見上げた。綿雲の漂う綺麗な青空。顔が思わずほころんだ。 「ワー! 噴水ダァー!」 突如、甲高いはしゃぎ声が聞こえた。振り返ると、いつの間にか彼女の隣に一匹の竜がいた。翼を何枚も携えた、人と同じくらいの大きさの竜だ。彼女の視線に気付いたのか、彼もこちらに顔を向ける。額にくさび形の傷跡があるが人懐こそうな顔立ちで、キラキラとしたルビーの瞳をしている。 「ネ、ネ、ココッテ水浴ビシテモイイノカナ?」 「え? ……あ、うん」 待ちきれない様子で聞いてくる彼に、レディスタはこくんと頷く。すると竜は「ヤッター!」と手放しで喜び、池の中にざぶんと飛び込んだ。既にそこで遊んでいた子供たちは、一度は目を点にしたが、すぐに花が咲いたように笑って竜と遊びだした。水しぶきを盛大に浴びたレディスタも、思わず声を上げて笑い出してしまった。 そのときだ。彼女の笑い声に重なって、どこからか苦笑混じりの声が聞こえてきた。 「大人げないぜー、テテロ」 レディスタは思わず振り向いた。その後ろから、竜が大きめの声で言い返す。 「カタイコト言ワナイ! 第一俺、マダ大人ジャナイモン!」 テテロと呼ばれたその竜は、無邪気にべえっと舌を出した。彼らの視線の先を、声の主である誰かが歩いてくる。レディスタが息を呑んだ。 やってくるのはひとりの少年。茶色のコートを緩くたなびかせて、こちらに向かってくる。 まさか。レディスタの中にある面影が浮かび上がった。数年前に別れたきり、一度も顔を合わせていない――いや、生きているかどうかも定かではない幼馴染みの面影が。 そんなことはありえないという考えが、彼女の脳裏をよぎる。だが彼の姿がはっきり見えてくるにつれ、その考えが確信になっていく。端整な顔立ち、空色の髪、どこまでも深く澄んだ蒼の瞳――。 無意識のうちに、レディスタは腰を上げて立ち尽くしていた。そしてほとんど同時に、やってきた少年も歩みを止めた。しばしの沈黙の後、少年の口がわずかに開く。 「……レッド?」 心地よく響く声で自分の名を呼ばれ、レディスタは胸の中にじわっと熱いものが込み上げるのを感じた。 「クロリア……」 それきり、二人は固まってしまった。 ひとりの老爺がパイプをくゆらせながら、ロッキングチェアーに腰掛けて窓の外を眺めていた。レディスタが出かけてしまうと、随分と家の中が寂しくなる。窓から昼の温かな光が差し込み、老いてもなお元気そうな顔を柔らかに照らしだした。リトという名のその老爺は、物思いにふけりながらゆっくりと煙を吐き出した。 バタン! 突然、玄関の戸が開いた。驚いてそちらを見やると、そこにはつい先ほど出かけたレディスタの姿があった。肩で呼吸をしている様子から察するに、よほど急いで帰ってきたのだろう。 「どうしたね、レッド。そんなに慌てて」 「り……り、リト爺、クロリアが!」 突然の知らせに、リトは疑問符を浮かべるばかりだ。そんな彼にはお構いなしに、レディスタは外を振り返って呼びかける。 「ほら、早く!」 「お、おいこら! 引っ張るなって!」 バタバタと騒がしい物音がする。一体全体何事かと、リトはゆっくりと椅子から立ち上がった。まもなく半ば強引に引っ張られて、ひとりの少年が入ってきた。その姿を視界にとらえるなり、リトの目が大きく見開かれる。 「クロリア……クロリアか!」 その声を聞いたクロリアも、驚いてその名を口にせずにはいられなかった。 「リ、リト爺?」 リトが目に涙を滲ませて歩み寄る。そして、まるで凱旋した兵士を称えるようにしてクロリアを抱いた。 「本当に、本当にクロリアなんじゃな。よく来た、無事じゃったか! まったく、心配かけおって……」 「リト爺も元気そうでよかったよ。心配させて、ごめん」 背中をぽんぽんと叩くリトに、クロリアも優しく微笑んでそう答えた。レディスタと、いつの間にか家に入ってきていたテテロは、そんな二人の様子を静かに見守っていた。レディスタが心の中で呟く。 ――お帰り、クロリア……。 「随分大きくなったな、クロリアも」 「あはは、リト爺が縮んだんだよ」 「何を言うか! まったく、生意気なのは変わらんな……」 「それはお爺ちゃん譲りでしょ?」 「ははは! 参ったな、レッドまで」 「ところで、そっちの竜君はなんて名前だっけ?」 「ててろ! くろりあト一緒ニ旅シテルンダ!」 「テテロ君か。ごめんね、いつもクロリアが迷惑かけてるでしょ?」 「ウン!」 「お前っ、そこで頷くか!」 「あはははは!」 日もそろそろ沈もうかという頃、いつもは静かな家から賑やかな会話が聞こえてきた。何年ぶりかの再会だ、話に花が咲くのも当然だった。 クロリアとテテロは結局この町に滞在する間、レディスタの家に泊めさせてもらうことになった。「相変わらず強引だな」などとぼやいていたクロリアだったが、もちろんそれは嬉しさの裏返しである。リトたちと直接関係のないテテロでさえ、皆と一緒に幸せを噛みしめていた。 思い思いにテーブルの上の茶菓子をつまみながら談笑に浸っていたときだ。 「あ!」 レディスタが大きな声をあげた。皆がきょとんとする中、彼女の視線はクロリアの左腕に注がれていた。コートの袖がざっくりと破れ、その周りはべったりとどす黒く汚れている。 「ちょっとクロリア、腕見せて!」 「は?」 クロリアが素っ頓狂な声をあげるが、レディスタはお構いなしに彼の左袖を捲り上げる。するとまだ塞がりきっていない、大きな刺し傷が視界に飛び込んできた。先日ルロイドの町で負った傷だと知らないレディスタとリトは、あまりの痛々しさに目を見開いた。クロリアは不意に走った痛みに、思わず歯の隙間から息を漏らす。 「ばか! 何でこんな大けがしてるのにほったらかしてるのよ。手当てしなきゃ!」 「だ、大丈夫だって。こんなのすぐ治るから」 「転んでけがしたのと訳が違うでしょ。いいから大人しくしてなさい!」 恥ずかしくて必死に抵抗するクロリアだったが、いつの間にか包帯と薬を手に取り、彼の前に仁王立ちしているレディスタの姿を見た途端、観念して大人しくなってしまった。昔もこうだった、と回想するリトと、これではまるで姉と弟だ、と唖然とするテテロが、思わず顔を見合わせ苦笑する。 レディスタは慣れた手つきで消毒を施し、手早く包帯を巻いていった。視線をクロリアの腕に落としたまま、レディスタは思い出したように言った。 「そうだ。クロリア、これが終わったらちょっと出かけない?」 「出かける? どこに」 「少し先の丘にね、すっごく素敵な場所があるの! 特に今みたいな夕暮れどきは、とっても綺麗な景色が見られるんだよ。ね、行こ行こ」 「ん、俺は別に構わないけど……」 きらきらとした笑顔で語る今のレディスタに、誰が断ることなどできようか。クロリアは包帯の巻かれた左腕を保護しつつ、椅子から立ち上がった。 「じゃリト爺、テテロ、ちょっと出かけてくるから」 「夕食の頃までには帰ってくるね、リト爺」 そしてレディスタは「ほら、早く早く」とクロリアの背中を押す。相変わらず彼女には振り回されっぱなしだ……とクロリアは苦笑し、外へ出ていった。 急に静かになった家の中で、テテロが怪訝そうな顔でぼそりと言う。 「……デート?」 「ほっほっほ、そんなもんじゃあないよ。安心せい、テテロ君」 「安心……ッテ、ベ、別ニ俺ハッ!」 真っ赤になってうろたえるテテロを見て、リトはパイプをふかしながら笑った。 「ただあの二人、話すことがたくさんありすぎるんじゃよ」 「ドーイウコト?」 状況を呑み込めないテテロに、今度は視線を窓の外、まだ輪郭のはっきりしない月に向けて、リトが静かに言った。 「いろいろあったんじゃ。わしらの故郷、リドアールの町でな……」 静かな部屋で、リトは一言一言を噛みしめるように語りだした。 |