第四話 実験



 ルロイドの町の中心には、とある大きな建物がそびえている。鉄とコンクリートで造られているそれは、一様な住宅街の中では奇妙に目立って見えた。
 その入り口に二人と一匹の姿があった。ファルドに続いて、リヴァリスフィアとテテロが分厚い自動ドアを抜ける。
 中は広いエントランスになっていて、目の前には白衣を纏った人々がいた。彼らが第一線で活躍している研究者たちなのだろう。その中の一人が軽く手を挙げた。
「こんにちは、ファルド博士。そしてリヴァリスフィア君」
「お久しぶりです。例の翼竜、テテロ君を連れてきましたよ」
「ア、 ドウモー」
 慣れない雰囲気に戸惑いながら、テテロはぎこちなく頭を下げた。すると突然、その研究者が不気味な笑みを浮かべた。
「そうですか。これで役者は……揃いましたな!」
 それを合図に、白衣の人々がファルドとテテロに襲いかかった。ファルドはあっという間に縛り上げられ、テテロは薬を染み込ませた布で口元を塞がれた。必死の抵抗も虚しく、テテロの体はどさりとその場に倒れ伏した。リヴァリスフィアは彼らを助けようともせず、黙ってその様子を見つめている。思いがけない展開に、ファルドは面食らって大声をあげた。
「な、何をするんだ、君たちは!」
「実験ですよ。このリヴァリスフィア君の能力を確かめるためのね」
「実験……?」
 縄を解こうと懸命にもがきながらファルドは言った。研究者たちは表情ひとつ変えず、当たり前のように返答する。
「言っておりませんでしたかな? 彼女ら人工生命体の本格的実用化に向け、模擬戦闘を行うと」
「戦闘? そんなことをして何になるというんだ! リヴァはそんな……」
「不可欠ですよ。何しろ彼女は『人工生体兵器』の第一号作なのですから」
 ファルドは目を見開いた。奴は今、何と言った――?
「ば、馬鹿を言うな! リヴァは兵器などではない! 私は人々の生活をより豊かにするために研究を……」
 必死に訴えるファルドだったが、目の前の残忍な同胞たちはさらりと言ってのけた。
「何をおっしゃるのです、ファルド博士。あなたが以前おっしゃったでしょう。彼女には誕生の過程で、人間を遙かに越える能力を備えさせたと。そしてあえて『こころ』を持たせていないのだと。となれば、それを利用しない手はない。それに我々人間の代わりに戦争に赴けば、それは人々の生活を救うことにも繋がるでしょう」
「騙したのか? 利用したのか、私を!」
「騙した? 人聞きの悪い。私たちは初めから、人間と対等の生物など作るつもりはありませんよ。私たちが求めているのは、人間のために全てを尽くす生命体……そう、言うなれば『人形』です」
「そんな、そんなことのために私は……。違う、違う!」
 ファルドは叫んだ。そして助けを請うようにリヴァリスフィアの方を振り返った。
「リヴァ、リヴァ、そうだろう? お前は兵器などにはなりたくないだろう? リヴァリスフィア、お前は……!」
 必死に縋りついてくるファルドを、リヴァは無表情のまま見下ろした。そして機械的に唇を動かす。
「……私にはわかりません、ご主人様」
 そう、彼女には『こころ』がない。感情も意志も、人情さえも持っていない。そして彼女をそうさせたのは、他でもない、自分自身なのだ……。
 ファルドの絶望に見開かれた瞳が濡れた。
 彼の後頭部を誰かが殴りつけた。ファルドの体が床に倒れこむ。白衣の男は黒い笑みを浮かべながら言い放った。
「――では早速参りましょうか。闘技場へ!」



 その頃クロリアは、石畳の中央通りを歩いていた。青く晴れた空が清々しい。そのせいだろうか、普段より多くの人が道を行き交っている。
 人混みをすり抜けながら歩いていると、行く手にシックな色味の看板が見えた。小ぢんまりとした店から、珈琲の香りがほのかに漂ってくる。
「ここだな」
 クロリアはモスグリーンの扉を押し開いた。
 店内に客の姿はなかった。どこからか心地よい音楽が流れてくる。目の前には洒落たカウンター席があり、そこで一人の若い女性が働いていた。栗色の柔らかな髪を揺らして、彼女はこちらを振り向いた。
「あら、いらっしゃい。ええと……クロリア君、だったわね?」
「な、なぜ俺の名前を?」
 挨拶をするのも忘れてクロリアは尋ねた。女性が優しく笑いかける。
「ファルド兄さんから聞いたのよ。私はマーシア。あまり立派な店じゃないけど、良かったらゆっくりしていってね」
 クロリアはカウンターの一席に腰を下ろした。マーシアは慣れた手つきで珈琲を淹れ、クロリアの前に差し出す。そして自分自身も彼の隣に座った。クロリアがカップに唇をつけるのを眺めながら、彼女は柔らかい声で話しかける。
「兄さんの家に泊まっているんですって? ごめんなさいね、とっても散らかってるでしょ。兄さんたら、お客さんを入れるときくらい片付ければいいのに……」
「そんな。それに仕方ないですよ、今も研究で忙しいみたいですし」
 思わず苦笑いしながらクロリアが言うと、マーシアもつられて軽く笑った。
「そうだ、研究といえば。兄さんのはもう見せてもらった?」
「あ、ええ、まあ……」
 昨日の出来事を思い出し、クロリアは無意識に視線を落とした。彼の心境を察したのか、マーシアはハッとした様子で申し訳なさそうに言った。
「あ、ごめんなさい。気分を悪くしてしまったのなら……」
「いえ、大丈夫です」
 クロリアが慌てて笑顔を作って言うも、マーシアは変わらず優しく気遣うような目で彼を見つめていた。そしてふと、細く長い溜息をつく。
「そう、確かにあれを見てしまったら、複雑な気持ちにもなるわよね。ましてや、あのリヴァちゃんのことなんて……」
「マーシアさんも、知ってるんですね」
「そりゃあ、私はあの人の妹だもの。嫌でも耳に入ってくるわ。……でも正直、私もあの研究には疑問があるんだけどね」
 マーシアは少しだけ哀しそうに微笑んでそう言った。二人の間を静かな沈黙が流れる。
「だけど、ちょっと気になるのよね」
 不意にうーんと唸りながら首を捻ったマーシアに、クロリアは不思議そうな視線を向けた。
「何か?」
「リヴァちゃんのことなんだけど……。あの子『こころ』を持ってないって言ってたでしょ? だけど、そんなこと本当にできるのかしら。『こころ』なんて形のないものを、完全に取り出すなんて――」
 クロリアがハッとしてマーシアのことを振り返った、その時だった。
 ドオーン!
 響く爆音。カウンターのグラスやカップが耳障りな音を立てて震える。突然のことに、二人とも驚いて顔を見合わせた。
 クロリアたちは急いで店を出た。他の住民たちも慌てて外に飛び出してきたところだった。二発目の轟音が町中を震わせた直後、誰かが叫び声をあげた。
「おい、あれを見ろ!」
 皆の視線を一斉に集めたのは、ここから少し離れたところにある大きな闘技場だった。もうもうと砂煙が舞い上がり、たて続けに凄まじい音が鳴り響く。足下がビリビリと小刻みに振動した。
 そして不意に、クロリアは立ちのぼる砂埃の中に何かの影を見つけた。ハッとして目を凝らしてみると、ほんの一瞬ではあったが先ほどよりも明確に見えた――何枚もの翼をひるがえし、舞い踊るように飛翔する竜の姿が。
「テテロ!」
 叫んだ瞬間、彼は闘技場に向かってはじかれたように走り出していた。
「ちょ、ちょっとクロリア君!」
 マーシアが慌てて引き留めようとしたが、もはやその声は彼の耳には届かない。クロリアが闘技場へ急ぐ間にも、爆発は絶え間なく続いている。
「くそっ、朝の嫌な予感は大当たりみたいだな……」
 全速力で走りながら、クロリアは苦い声でひとりごちた。
 まもなく彼は、風を切って闘技場に突っ込んだ。息を弾ませて階段を駆け上がり、観客席へと出る。
「これは……!」
 席の最前列から身を乗り出し、クロリアは目を見開いた。フィールド内では、予想以上に激しい戦闘が繰り広げられていた。砂埃が立ち込めていて詳しい様子はわからないが、闘っているのは少人数のようだ。
 突如、聞き慣れた声が辺りに木霊した。
「くろりあ、くろりあッ!」
「テテロ? どこだ、テテロ!」
 爆音の中から聞こえてきたのは、間違いなく相棒の声だった。クロリアが必死で彼の姿を捜す。
 すると次の瞬間、テテロの体が唸りをあげて飛んできた。クロリアの頭の上を抜け、ドオッと観客席に叩き付けられる。
 続けて一人の少女が、フェンスを軽々飛び越えてきた。身長よりも遥かに長い巨大な銃器を手にした彼女の顔を見て、クロリアはまたしても驚きの声をあげる。
「リヴァ!」
 その声を聞きつけて、一度リヴァリスフィアはクロリアに目を向けた。いつもと変わらない無情な瞳。しかし今は、そこに非道な残酷さまでもが映っているように見えた。
 彼女は興味なさそうに顔を背け、テテロの方へ飛ぶように駆けていった。そして何のためらいもなく大型の銃器をテテロに向け、トリガーを引く。
 ズガン!
 間一髪のところでテテロは弾丸を避けた。彼がクルクルと旋回しながら飛び去ると、逃がすかと言わんばかりにリヴァリスフィアもその後を追う。テテロが打ち付けられたそこはクレーターのように凹み、設置されていた席の面影はどこにもなかった。
 何が起こっているのかわからない。なぜあの二人が闘っている?
 ふと、クロリアは背後に何かの気配を感じた。肩越しにチラリと目をやると、数人の白衣の人物が、彼の背中に拳銃を突きつけていた。
「君、部外者は立ち入り禁止ですよ」
「実験の妨害になるのでね」
 彼らの声を背後に聞き、クロリアはフッと挑戦的に笑う。
「へえ、随分と過激な実験じゃないか」
「彼女ら人工生命体の実用化に向け、避けては通れない道です」
「実用化?」
 表情を微塵も変えずに言う男に、クロリアは短く問う。今度は男がほくそ笑みながら言った。
「その通り。人工生体兵器としてのね」
 男はまるで、新商品を紹介するかのように話を続けた。
「彼女が兵器としてどれほどの能力があるのか、それのテストです。しかし実験台として生身の人間を使えば、住民から非難の声が上がるのは目に見えています。だから、この町でも好感を持たれていない竜を相手にすれば問題ない、という訳です」
 一瞬クロリアの顔が憤りに歪んだが、すぐに落ち着き払った表情に戻る。
「リヴァの生みの親……ファルドさんは、そんなことは望んでいなかったはずだ」
「そう。しかしこれは、彼女が驚くべき能力を持ちあわせている限り、当然の流れなのですよ。こんな驚異的な力を野放しにしておけば、いつ我々が危険にさらされるかわからない。我々は彼女らの全てを制御しなければならないのです。ファルドはそれを受け入れようとしなかった。だから彼には……」
 白衣の男が指をパチンと鳴らした。それを合図に、闘技場の横から二人の男がファルドを連れて現れた。ファルドは縄できっちりと縛られ、口まで塞がれている。その表情は恐怖と絶望に歪んでいた。
 その様子に気付いたリヴァリスフィアは、闘いの手を止めた。そしてクロリアの背後の男が、彼女に向かって告げる。
「さあリヴァリスフィア。その人を殺してごらん」





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