分かっていたことだった。そんなことには、とうに気付いていたのだ。それでも認めたくなかった。そんなことがあるはずがない、そう思い込みたかった……。クロリアは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。 「人間の技術は、もうあそこまで進歩しているんだよ。あとは彼女の情報を参考にして量産するだけだ」 クロリアは何か言おうとしたが、その声は口から出ることなく呑み込まれた。頭の中にはファルドの言葉が何度も鳴り響いていた。 ――リヴァリスフィア。あの子が第一世代の人工生命体だ。 突きつけられた真実。苦い思いが込み上げてきて、クロリアは唇を噛み締める。 「それじゃ、そろそろシャッターを閉めるから。下がって」 ファルドがパネルの横にあるボタンを押すと、シャッターが低い音を立てながら下りてきた。先程の映像を巻き戻しているかのようだ。やがて緑の光は、扉の奥に吸い込まれるように消えた。シャッターの音の余韻の中、ファルドが口を開いた。 「彼女に会っても、今まで通り普通に接してくれ。もっともリヴァは『こころ』を持たないから、彼女がそれを知ったところでさほど問題はない。だが今まで通り……それが一番だろうから」 ルロイドの町が、真っ赤な夕日に染まる頃。町外れの小さな広場に、一人と一匹の姿があった。ここは高台になっているから、町全体が広く見渡せる。遠くに連なる低い山々に、燃えるような太陽がその身を隠そうとしている。 「綺麗だな」 クロリアが柵にもたれながら言った。彼の澄んだ蒼の瞳に、対照的な紅の日が映り込む。隣で同じようにして夕焼けを見つめるテテロが「ソウダネ」と短く答えた。静かな空白の後、クロリアのやるせない溜息が聞こえた。 「何だかな……」 「物凄イ事聞イチャッタヨネ」 言葉になっていないクロリアに代わって、テテロが彼の言わんとしていたことを代弁する。 この町で人工生命体の研究をしていると聞き、興味を抱いてやってきた二人。しかしいざその研究を目の当たりにすると、何とも言えない複雑な気分になった。生き物が別の生き物を造る――確かに人々にとって有益ではあっても、そこに倫理的問題があることは否めない。 感情を操作され、『こころ』までも抜き取られ、いずれ人間に利用されるようになるであろう生物。その試作品があの少女、リヴァリスフィアなのだと思うと、気分が重く沈む。 ファルドが悪人だとは言わない。彼が求めているものは理解できるし、それは確かに人々の暮らしを豊かにするだろう。しかし……。 「何を聞いてしまったのですか?」 突然響いた少女の声。二人ははじかれたように背後を振り返った。思いがけないことに、そこにはリヴァリスフィアの姿があった。真っ直ぐに下ろされた黒髪が、紅く染まった世界に揺れる。 「イ、イツカラソコニ……」 「用事を終えて帰る途中だったのですが、お二人がここにいらしたので。……何を聞いてしまったのですか?」 クロリアたちは黙ったままだった。リヴァリスフィアは急かすこともなく、表情の見受けられない顔をじっと彼らに向けていた。その顔に笑みがたたえられる時は永遠に来ない。そう思うと、まともに彼女と目を合わせられなかった。 不意に背後を見やって、クロリアが言う。 「君はこの夕日を見て、どう思う?」 夕日に赤く照らし出されるリヴァリスフィアは、クロリアの瞳にとても儚くもろそうに映った。彼女は一度クロリアの向こうに広がる夕焼け空を見、そしてすぐに彼に視線を戻し、ただ一言答えた。 「何も」 その顔には、確かに何も映っていなかった。 「そうか……」 それきり、クロリアはうつむいて口をつぐんでしまった。繊細な蒼髪が、さらりと瞼に落ちる。リヴァリスフィアは静かに彼の様子を見つめていた。 「……聞いたというのは、私のことですね」 不意に呟かれた言葉に、クロリアがハッと息を呑む。 「私がご主人様に造られた、人工生命体であるということを。そうでしょう」 「知ッテタンダネ……」 テテロが複雑な面持ちで呟いた。 夕日が三人を赤々と照らし出し、影を長く伸ばしている。何も動く物のない町で、彼らのいる場所だけが随分と孤独に感じられた。そんなもの悲しい空間に、突如クロリアの声が響く。 「お前は……リヴァは本当にそれで良いのか? 他人に都合よく造られて、他人に全て支配されて!」 テテロは呆気に取られてクロリアを見つめた。こんな風に、彼が感情に任せて大声をあげることなど滅多にない。クロリア本人もすっかり取り乱していたことに気付き、慌ててぶんぶんと手を振る。 「あ、えっと……。その、つまりだな」 クロリアはここで少しためらい、しかし今度はリヴァから目を逸らすことなく言い放った。 「聞いておきたいんだ。リヴァの思いを」 リヴァがこれからどう生きるか。それは彼女自身が決めることであり、決めなければいけないことでもある。他人に全てコントロールされて一生を終えるなど、本当の『いのち』のあり方ではないはずだ――。 クロリアの真剣な眼差しを見つめていたリヴァリスフィアは、そっと瞳を閉じて、抑揚のない口調で答えた。 「……私には何も言えません。それに、『思う』とか『考える』というのがどういうことなのか分からないのです。私には『こころ』がありませんから」 クロリアは言葉を失った。頭の中で繰り返し響く、彼女の決定的な台詞。 ――私には『こころ』がありませんから。 そう。彼女は意志も希望も感情も、何も持ってはいない。自分では何も感じたり考えたりできない。ただ一日一日を過ごしているだけ。 それは本当に、生きていると言えるのだろうか? 『こころ』を奪われた『いのち』の成れの果て――それをクロリアは思い知らされた。リヴァリスフィアという、人形ともいうべき哀しい存在によって。 階下で物音がしたのを聞きつけ、クロリアは目を覚ました。 二人は昨夜、ファルドの家に泊めさせてもらうことになり、二階の空き部屋を借りていた。もう日もすっかり昇ったらしく、柔らかに差し込む朝日が部屋中を照らしていた。クロリアがゆっくりと身を起こす。そのとき初めて、まだコートを羽織ったままだったのに気付いた。 ――そうか。昨日は疲れてたから、ベッドに倒れ込んでそのまま眠ったんだっけ……。 ぼんやりとした頭で考えるクロリア。そしてふと、部屋の隅で丸くなっているテテロに目を向けた。滑らかな曲線を描く背が、ゆっくりと上下している。 「テテロ、朝だぞ」 「ンー。ア、くろりあ。オハヨ……」 縮こまったその体を軽く揺さぶってやると、ふわあ、と大きな欠伸をしながらテテロは起きた。 二人は身支度をして一階へ下りた。リビングには、すっかり目覚めて活動しているファルドとリヴァリスフィアの姿があった。階段を下りてくるクロリアたちに気付き、ファルドは爽やかに声をかけた。 「おはよう、クロリア君にテテロ君。昨夜は良く眠れたかね?」 「ええ。……あの、どこかに出かけるんですか?」 クロリアはファルドが正装しているのに気付いて問うた。「これかい?」と自分のスーツ姿を指さして、ファルドはにこにこと笑った。 「ちょっと仕事でね。この近辺の研究者たちが集まって、研究成果を報告しあうことになってるんだよ。それでリヴァを連れていくんだ」 リヴァリスフィアの方も、今日はよそゆきの黒いワンピースを着ていた。顔の方は、相変わらずの無表情だったが。 「そうそう。テテロ君、君も一緒に行かないかい?」 「オ、俺?」 突然名前を呼ばれて、半寝半起きだったテテロは我に返った。 「知り合いの研究者たちが、君に会ってみたいそうなんだ。この町には竜がいないからね、かなり興味があるらしい。駄目かな?」 「別ニ俺ハ構ワナイケド……。ア、ソレダッタラくろりあモ一緒ニ」 思いもしなかった誘いに戸惑いながら、テテロがクロリアをちらと見た。しかしファルドは残念そうに首を横に振り、彼の提案を否定する。 「残念だが、報告会に一般の人は参加できないんだよ。だからその間、クロリア君はお茶でもしているといいと思う。ここから少し行ったところの小さい店なんだが、そこで私の妹が働いているんだ。家で待っていても退屈だろうから、良かったらそうしてくれ」 「あ、どうもありがとうございます」 クロリアがそう返すと、ファルドは満足そうに頷いた。 「では行ってくる」 「ジャア後デネ、くろりあ」 ファルドに続き、リヴァリスフィアとテテロが玄関を出ていった。三人が扉の向こうに消えていくのを見送りながら、クロリアの脳裏を、何か不吉な予感が掠めていった。 |