第二話 生命創造



 三人がルロイドの町に着いたのは、太陽も高く昇った真昼どきだった。
 学究の町、などという堅苦しい名で呼ばれているほどだ、きっと薄暗い無愛想な町なのだろう。そう構えていたクロリアとテテロだったが、意外にもそんな雰囲気のない、穏やかで平凡なところだった。道には多くの人々が歩いているし、その両脇にずらりと民家が建ち並んでいるのが窺える辺り、ここはそれなりに栄えている町のようだ。
 その人通りの多い石畳の道を、リヴァリスフィアとクロリア、そしてテテロは進んでいった。テテロの派手な容姿は、人間の町を歩いていると嫌でも目立ってしまう。道行く人々がテテロを見てこそこそと喋ったり、冷たい目つきで睨んでくるのは、あえて無視した。
 人々がこのような反応を示すのには訳がある。これはかつて起こった大戦争、カノロス人竜大激戦の名残なのだ。想像を絶する悲惨な戦いで、それ故現在でも両者の睨み合いは続いている。
 昔のことは水に流し、互いに手を取りあって生きていこうとする者ももちろんいる。例えば先日訪れたアトルスの人々がそうだ。しかし全体的に見ると、やはりお互いに嫌悪感を主張する勢力の方が強い。だからこのように周りから冷たい視線を浴びることなど、テテロにとっては日常茶飯事だった。
 しばらく歩いて、リヴァリスフィアがスッと横道にそれた。これまで歩いてきたメインストリートよりも暗く狭いそこは、どこかただならぬ雰囲気を醸し出している。その道を少し行ったところで、彼女ははたと立ち止まった。
 そこには一軒の家と、それに寄り添うようにしてある小さな建物があった。一面をコンクリートで固めてあるそれには、小窓が幾つかついているだけで、その窓にもシャッターが降りている。平らな屋根から突き出す煙突はうっすらと煙を吐き、薄気味悪い雰囲気が嫌でも伝わってきた。
 怪しげな建物をまじまじと見ていたクロリアとテテロは、リヴァリスフィアが家の呼び鈴を鳴らすのを聞いて我に返った。カランカランと軽い音が響く。
 しばらくしてから、ひとりの男が扉の陰から現れた。眼鏡をかけた、感じの良さそうな男性だ。年齢は三十代に差し掛かったくらいだろうか。長い緑の髪を後ろで束ねて、白衣をまとっている。どうやらこの男も、この町で働く研究者のひとりのようだ。家の隣にある例の建物は、彼の実験施設なのだろう。
 リヴァリスフィアが相変わらずの淡々とした口調で言う。
「ご主人様、リデルの花を摘んできました」
「いつもすまないね。この方たちは?」
 男がクロリアとテテロを見て不思議そうに尋ねた。
「私が三頭戌(ケルベロス)に襲われそうになったところを、この方たちが助けて下さったんです」
「それはそれは、どうもありがとうございました。私は研究家のファルドです。よろしく」
「こちらこそ。俺はクロリア、こっちはテテロです」
 握手を交わす二人。そういえばこの人は竜を否定しない。この町では数少ない理解者なのだと思うと、クロリアもテテロもほっとした。いくら慣れているとはいえ、四六時中冷たい目で睨まれていては気分も悪くなる。
 ふと、リヴァリスフィアが静かに告げた。
「ご主人様、この方々は旅をなさっているそうです。この町にお二方が滞在する間、こちらに泊めて差し上げてはいかがでしょうか」
「ほう、旅人さんですか。もちろん構いませんよ。自分の家だと思ってゆっくりして下さい」
 ファルドが柔らかく笑いかけながら言った。そして早速、異色の客人たちを中へ招き入れる。扉の向こうで待ち構えていた光景を目にして、クロリアとテテロは唖然とした。
「ウワア、スゴイ本ノ山!」
 テテロのあげた声が全てを物語っていた。
 そこはリビングだというのに、いたるところに分厚い本が山積みになっている。部屋の両脇には大きな本棚があり、色々な実験器具がその上に並んでいた。テーブルの上にはインク瓶、羊皮紙、羽根ペンなどが雑然と広げられている。どうやら今の今まで作業を進めていたらしい。しかし部屋は特別汚れている訳でもなく、住まいとしては居心地が良さそうだった――山のような本さえなければ。
 テテロの率直な台詞に、ファルドは床に散らばっていた本を拾い上げながら言う。
「はは、すまないね。研究者たる者、日々の勉学は欠かせないんだよ。まあ、それをちゃんと片付けないのは私が悪いんだがね」
 それから彼は何かを思い出した様子で「そうだ」と言い、リヴァリスフィアの方へ顔を向けた。
「リヴァ、帰ってきたばかりで悪いんだが、もうひとつおつかいを頼みたい。この研究資料をテドルのところに持っていってくれ。多分彼から伝言をもらうと思う。テドルの研究所は知っているね?」
 言いながらファルドは、リヴァリスフィアに分厚い封筒を手渡した。彼女はそれを機械的に受け取り、抑揚のない口調で返答する。
「はい。行って参ります」
「頼んだよ」
 クロリアとテテロ、そしてファルドは、リヴァリスフィアが再び出かけていくのを見送った。彼女は無言のまま、吸い込まれるように扉の向こう側へ消えていった。
「さて、お二人ともちょっと良いかな?」
 唐突なファルドの発言に、クロリアとテテロが不思議そうに振り返る。
「君たちを特別に、私の研究室へ案内したい」
「ホント? スゴイ!」
「でも、良いんですか? 俺たちみたいなよそ者に見せてしまって……」
「良いんだ。と言うより、だからこそ来て欲しいんだよ。君らはあちこち旅をしている。きっと私の持っていない知識とか、奇抜な発想があると思うんだ。是非協力をして欲しい」
 ファルドの答えを聞いて、クロリアは少しの間、顎に手を当てて考えた。
「……ファルドさんがそれで良いのなら。テテロ、お前は?」
「くろりあニ同ジー」
「ありがとう。では早速行こうか」
 にっこりと破顔すると、ファルドは本棚の横にある扉の前に立った。ドアノブを回し、金属製のそれをゆっくりと開ける。
 扉の向こうは、薄暗く陰気な研究室だった。中には見たこともない大型の実験器具がずらりと並んでいて、モニターや計器類もあちこちに見られる。シュッシュッと一定の早さで煙を吐き出す音や、空洞に響き渡るような低い音が、休みなく聞こえてきた。二十四時間態勢で研究を続けているのだろう。
「こっちだ」
 呆気にとられていたクロリアとテテロは、部屋に響いた声を聞いて我に返った。カツカツと靴音を立てて、ファルドは奥へと進んでいく。
 歩きながらクロリアたちは辺りを見回した。緑の液体がコポコポと沸騰するフラスコ、羅列する試験管、ホルモン漬けの爬虫類や内臓、ほ乳類の脳の模型、大きな円筒形の水槽に浮かぶ奇妙な物体……。興味をそそられるものから気分の悪くなるものまで、ありとあらゆるものがそこにあった。
 ファルドが大きな鉄製の壁の前で歩みを止めた。横にあるパネルに手を伸ばしたかと思うと、暗証番号を目にもとまらぬ速さで打ち込んだ。ピーッと甲高い音が鳴り、それまで壁だと思っていた部分が上へスライドし始めた。開いた隙間からは緑の光が漏れてくる。ゴウンゴウンと重い音が響く中、三人は天井に引き込まれていくシャッターの向こうを見つめた。最後にガションと大きな音を立て、シャッターが上がりきる。
「!」
 クロリアとテテロが思わず息を呑み、目を見張った。壁の向こうから現れたのは、不気味な光を帯びた巨大な水槽。そしてその中には、何と――ヒトが浮かんでいた。
「ファルドさん、これは……」
「この町は『学究の町』なんて通り名があるけれど、皆がどんな研究に力を入れているか知っているかい?」
「マサカ!」
「そう。ここにあるのはね、人工生命体研究用の実験器具。そして彼らが、私の努力と情熱と苦労のもとに生み出された新生物だ……」
 ファルドがうっとりするような目で、水槽の中に浮かぶ数人の少年少女を見つめた。彼らは水の中に立つようにして眠っている。体のところどころに管やコードが繋がっていた。そこから酸素や栄養の補給を受けているらしい。
「完全な人工生命体――長年この町を中心として研究されてきた、とても困難な分野のひとつだ。複数の生物を合成させて新たな種を造るのは簡単だった。基盤、つまりベースが揃っているからね。だが一から新種を造りあげるとなると、その難易度は比べ物にならないほど高くなる。これまでに何人も、不可能だとさじを投げる者たちを見てきた……。だが私は諦めず研究に研究を重ねた。そして遂に成功したんだ」
 ファルドが説明している間にも、クロリアは囚われたように新生物に見入っていた。――いや、ただ眺めているのではない。彼の中に、何か無視することのできない引っかかりがあったのだ。気味の悪い予感が胸の中に溜まっていく。
「学会には試作の第一号を連れて行った。思っていたとおり、全員声も出ないほど驚いていたよ。今はまだその第一号しか生まれていないが、この子たちを完成させれば実用化にも漕ぎ着けられるんだ」
「……マルデ道具ミタイナ言イ方ヲスルンダネ」
 テテロがムッとした表情で呟いた。
「ああ、気に障ったのならごめんよ、テテロ君。だがね、この子たちには成長の過程で、人間を遙かに上回る能力を備えさせた。だから社会に進出すれば、我々の生活が豊かになることは間違いないんだ」
 そして次の言葉が、クロリアの中のわだかまりを解く鍵となった。そして、彼に新たな哀しみを背負わせる原因にも。
「この子たちにはあえて『こころ』というものを持たせていない。そんなことをすれば彼らは、別の生き物によって造られたのだという現実を背負わなくてはならないだろう?」
 クロリアはハッと息を呑んだ。まさか。
「それに、上手くいけば人間の代わりとして社会で働くことも可能だ。世界に大きな変化をもたらす新種の――」
「ファルドさん。ひとつ良いですか?」
 クロリアが無理矢理話を遮った。水槽を見つめる彼の胸に、不気味な予感が募っていく。自分の思い過ごしであれば良いと願う一方で、間違いないと確信している自分がいる。それほどに似ていた――彼らの生気の見られない顔と、あの人の顔は。
「……どうしたね? クロリア君」
「完成した第一世代は、今どこに?」
 沈黙が部屋にたちこめる。ファルドは息をつき、たっぷりと間を置いてから、笑みを浮かべて呟いた。
「そうだね。そろそろテドルの家に着いている頃かな」
「オ、オイ、ソレッテ……」
 テテロもたった今気づいたようだった。ファルドはもう一度水槽に向き直り、顔を緑色に染めて静かに言った。
「リヴァリスフィア……。あの子が第一世代の人工生命体だ」





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