第三話 満月の夜



 綺麗な月夜だった。満月の明かりにぼんやりと照らし出されたアトルスの町は、昼間の活気が嘘のように静まりかえっている。普段は昼も夜も店が出て賑わっているのだが、今日はきっと祝日なのだろう。町中の明かりが消え、住人たちはぐっすりと眠っているようだった。
 その静かな町の北方に、大きな屋敷がでんと構えていた。月明かりに浮かび上がる豪華な外観。贅沢な屋敷の前には立派な庭が広がり、更にその周囲を、高く頑丈な石垣がぐるりと取り囲んでいる。南側には大きな鉄製の門があり、その前にライフルを背負った番兵が二人、両端にそれぞれ立っていた。
「む?」
 その内の一人が、不意に顔を上げた。声を聞きつけて、もう一方の番兵が聞き返す。
「どうした?」
「今、向こうから音が聞こえたような……」
 彼の視線は夜空の中を彷徨っていた。もう一人の男がその様子を見て言う。
「鳥じゃないのか?」
 それでもなお警戒している番兵につられて、もう片方も辺りを見回した。少しの間、緊張した静寂がみなぎる。次の瞬間、二人は揃って目を見開いた。
 バサッ、バサッ、バサッ……。
「聞こえたか?」
「ああ、随分と重い羽音だったな」
 烏や鳩などとは違う、重くずっしりとした羽音を、二人は確かに聞いた。汗の滲む手で背中のライフルを抜き、全神経を耳に集中させる。そうしている間にも、謎の羽音は次第に大きくなっていく。間違いなく近づいてきている――。
「おい、見ろ!」
 叫びながら、一人の兵が宙を指さした。それを辿った先にあるものは、暗黒の夜空を背景にして羽ばたく、大きな影だった。
「何だあれは、鳥じゃないぞ!」
「まずい! このままだと館に入られちまうぞ。撃ち落とせ!」
 言うが早いが、二人は弾丸を影に向かって撃ち込んだ。しかし影は暗い夜空に紛れ込んでいて、狙いがうまく定まらない。一向に当たらない弾を撃ち続けていた二人だったが、その影の縁が突然、ぼうっと不気味に光ったのを見てひるんだ。
「な、何だ?」
 正体を確かめる間もなかった。眩しい光が目にも留まらぬ速さで飛んできて、番兵の右肩を貫いた。
「ぐっ、ぐあああ!」
「どうした、大丈夫か!」
「くそっ。いきなり強い光が飛んで来やがった……!」
 鮮血がどくどくと溢れる傷口を押さえ、男は苦しそうに喘ぐ。
「気を付けろ、突然飛んでく――」
「がっ!」
 二発目が夜の空気を切り裂いた。無事だった男の左腕を、目の眩むような光の矢が貫通する。深紅の生温かい液体が、そこらじゅうに飛び散った。ここでやっと、二人は相手の意図に気付いた。
「あいつ! 俺たちの腕を封じて、ライフルを使えないようにしやがったんだ!」
「だめだ、屋敷に入られちまう……」
 その通り、負傷した腕では射撃をすることは愚か、構えることすら不可能だった。二人はどうすることもできないまま、侵入者が悠々と門を越え、館内へ入っていくのを見ているしかなかった。
 その時、月を覆っていた薄雲が取り払われた。侵入者の影が月光に照らされ、青白くかたどられる。その正体は、翼竜とそれに跨る若者だった。手には弓のような形をした、見たこともない武器が握られている。
「おい、あれ!」
「まさかあいつ、今日のひったくり事件を鎮めた……?」
 彼らは目を見開いたまま、放心状態で彼らを見送った。
 侵入者はやすやすと庭へ降り立った。翼竜の背から降りた人間の顔が、白く柔らかい光を浴びて浮かび上がる。端麗な顔立ちをした、十代半ばの少年。クロリアだ。
「ひとまず侵入成功っと」
「イキナリ弾丸ノ雨デ出迎エラレチャ、先ガ思イヤラレルネ」
 クロリアの一息つきながらの言葉に、微妙に発音やアクセントのずれた声が続く。言うまでもなくクロリアの相棒、テテロのものだ。
「できれば門番に見つかりたくなかったな。危険はなるべく避けたいし、無駄に相手を攻撃したくない」
「気付カレルノ当タリ前ダヨ。正面カラ堂々ト入ルンダモン」
「仕方ないだろ。ここ以外はくまなく罠が仕掛けられてたんだから」
 そんな何気ない会話をしつつ、二人は広い庭を駆けていった。
 ところがまもなく、巡回中の警備員たちが現れた。クロリアたちが慌てて近くの木陰へ隠れる。彼らは口々にこんなことを言っていた。
「何者かが侵入したらしいぞ」
「警戒態勢を強めよう。俺はこっちを探す。お前はその辺りで見張ってくれ」
「人員も増やした方が良さそうだな」
「侵入者を絶対に館内へ入れるなよ。怪しい奴は容赦なく捕まえろ」
 情報網がしっかりしているのだろう、既にクロリアたちの情報が行き届いているらしい。あっという間に警備員の数は増えていき、とても館へは辿り着けない状態になってしまった。隠れながらその様子を見ていたクロリアは、微かに顔を歪める。
「まずいな。こうなったら……」
「マタ強行突破?」
「いくら何でもそれはしないさ」
 クロリアは先程も使った、二枚刃の弓を構えた。慣れた手つきで光の弦と矢を作り上げ、その切っ先を庭の中心にある噴水に向ける。直後、迷うことなく矢を放った。
 ビュッと空気を貫く音と共に、噴水が凄まじい音を立てて粉々に砕け散る。突然の轟音に、警備員たちはビクッと体を震わせた。
「おわっ!」
「噴水が壊れちまった!」
「ど、どうにかしろよ!」
 全く予期しなかった出来事に、警備員たちはおろおろと慌てふためくばかりだ。一方テテロは、大破した噴水を眺めてのんきに呟いた。
「ヒャー、らいとあろーノ威力ハ凄マジイネー」
 ライトアロー――これこそクロリアの不思議な武器の名だった。呪文を唱えずとも、クロリアの思うがままに姿形を変える、無限の可能性を秘めた武器だ。主に彼が使うのは弓矢だが、他にも盾や斧、長槍など、クロリアの想像力次第で何にでもなる。しかも彼以外の人物には操れないという、謎めいた代物だ。
 噴水からは水が激しく吹き出し、とても人が近づける状態ではない。なす術のない警備員たちを後に、クロリアとテテロは思いの外簡単に、館に近づくことができた。無防備にも開いていた窓から、呆気なく侵入を果たす。
 二人が入ったのは、ロビーの近くの廊下だった。見るからに高級そうな、磨き上げられた石の床に立って、クロリアはきょろきょろと辺りを見回す。
「さて、ヴァルクスの部屋は……」
「シラミツブシニ探スシカナイ?」
「この館は広すぎる。そんなことしてたら間違いなく、途中で誰かに見つかるよ」
「ジャアドウシロッテ……、モゴ」
 クロリアがいきなりテテロの口を塞ぎ、物陰に乱暴に連れていく。テテロはじたばたと抵抗したが、真剣なクロリアの表情を見るなり、何かわけありの様子だと勘付いて大人しくなった。
 クロリアの視線の先――館の入り口から、負傷した男が二人入ってくるのが見えた。クロリアの矢によってけがを負わされた、あの番兵たちだ。物陰に隠れた二人が耳をそばだてる。
「急いでヴァルクス様に報告しなければ……」
「し、しかし侵入者がまんまと入ってきたなどと言えば、我々は首にされかねないぞ」
「このまま隠し通せるはずもないだろう? 今はヴァルクス様に現状を説明して、人員を増やし、奴らを捕まえることが先決だ。さあ、早く行くぞ」
 部屋へ辿り着く方法をあれこれ思案していたクロリアたちにとって、好都合この上ないことだった。クロリアとテテロは軽く頷きあい、番兵たちの尾行を開始した。





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