第二話 依頼



「ようこそ我が家へ。そこのテーブルで待っていて。お茶を淹れてくるから」
 クロリアたちが招かれたのは、賑やかな大通りからは少し離れた、小さな赤煉瓦造りの家だった。中はすっきりと片づけられていて、家の主、フィレーネの性格が見えるようだ。透き通ったカーテンが窓の両脇に束ねられ、そこから柔らかな昼下がりの光が差し込んでいる。リビングの中央には、刺繍入りのテーブルクロスがかかった四角いテーブルと、木製のイスが置いてあった。すぐ横には外装と同じ煉瓦でできた暖炉が据えられている。
 クロリアはフィレーネに言われ、椅子に腰を降ろした。テテロはそうもいかないので、いつものようにクロリアの足下に座りこむ。
 まもなく部屋の奥から、紅茶や焼きたてのクッキーと共にフィレーネが現れた。たちまち部屋の中にいい香りがたちこめる。
「さ、どうぞ」
「ワア、美味シソー!」
 期待通りに出された茶菓子に、テテロは目を輝かせた。そんな彼に呆れた視線を向けるクロリアと、にこにこと優しい笑顔で眺めるフィレーネ。それから彼女はクロリアに視線を向け、話を切り出した。
「ねえクロリア君。助けて貰ってこんなこと言うのは気が引けるんだけど、ちょっと頼まれてくれないかしら」
「頼み、ですか?」
 遠慮のえの字もない勢いでクッキーを頬張るテテロの頭をペシンと叩いて、クロリアは聞き返す。
「ええ。是非あなたに……」
 フィレーネが紅茶を啜りながら返答する。すらりとした美しい指が、ティーカップを置いた。陶器の重なる音と共に、彼女はほのかに笑んだ顔をクロリアに向けた。
 瞬間、クロリアは背筋が凍るような寒気を感じた。何故だろう、見た目には普通の微笑であっても、その裏にはただならぬ気配が秘められている気がしてならない――。
 そして、紅の唇がその言葉を紡いだ。
「殺して欲しい人がいるの」
 クロリアの動きが、凍りついたように止まった。あんなに夢中になって茶菓子を食べていたテテロですら、その手を止めてフィレーネの漆黒の瞳を凝視していた。
 固まったままの彼らにはお構いなしに、フィレーネは棚から紙束を持ってきた。テーブルに置かれたそれに、クロリアたちが視線を落とす。
 そこには、太っていかにも傲慢そうな男が写っていた。その横には細かなプロフィールが書かれている。フィレーネは文字列を指でなぞりながら、淡々とした口調で説明を始めた。
「ヴァルクスという男でね、このアトルスの指導者。この人を暗殺して欲しいってわけ」
「この男の政治に不満でも?」
「その通りよ。一見この町は、とても治安がよくて平和に見えるでしょう? でもその裏では皆、ヴァルクスの陰謀に操られてるの」
「陰謀?」
「ヴァルクスはここから少し離れた荒地に人々を送り込んで、開拓しようとしてるのよ」
「何ダ。ソレナラ町ノタメニ頑張ッテルンジャナイカ」
 深刻な表情で話すフィレーネに、テテロは思ったことをそのまま口にした。しかしフィレーネはゆっくりと首を横に振り、それを否定する。
「とんでもない。その荒地というのが、実は隣町チェクルイスの物なのよ。ヴァルクスはそれを承知の上で、無理矢理自分たちの物にしようとしてるの」
「彼は何故そんなことを?」
「チェクルイスの人々を煽って戦争をし、荒地はもちろんのこと、その町を丸ごと占領するためよ」
 さらりと口にされたのは、到底信じがたい大胆な計画だった。声にこそ出さないが驚いているクロリアを見据えながら、フィレーネが続ける。
「チェクルイスの町はね、土地が豊かなの。作物も毎年豊作だし、自然も多く残されていて、資源も溢れんばかりにある、本当に楽園のようなところなのよ。でも技術の方はまだまだ発展途上で、武器も簡単な物しか持ってない。だから、戦えばこっちが勝つのは目に見えてるわ。それでヴァルクスは……」
 フィレーネは、一旦言葉を切って俯いた。漆黒の瞳に影が落ちる。彼女はそんな自分勝手な戦争で、多くの犠牲が出るのに耐えられないのだ。
 しばらくそうしてから、彼女は思い切ったように顔を上げ、勢いこんで言った。
「お願い、引き受けてちょうだい。無意味な犠牲は出したくない。皆を助けたい。あなたほどの弓の腕があれば簡単でしょう? きっと成功する。だから……」
「お断りします」
 即答だった。フィレーネは驚きと疑いの入り混じった目で、目の前の少年を見つめた。ここまであっさりと断られるとは、思ってもみなかったのだろう。動揺している彼女に、クロリアは静かな声で言った。
「その依頼、引き受けるわけにはいきません。そもそも、そのヴァルクスという男を殺せば、あなたの言う『無意味な犠牲』が一人増えることになるんですよ。それに殺しをしたところで、問題が解決するとも思えません」
「そんな、そんなこと……」
「この問題、彼を殺さなくても解決する方法はいくらでもあるはずです。俺も人殺しなんてしたくない。他人の命を自分の都合で奪う所業ですからね」
「……」
「お茶、ご馳走様でした。美味しかったです」
 言葉を失ったフィレーネの目の前で、クロリアは椅子から立ち上がった。それに続いてテテロも身を起こす。二人が玄関近くまで行き、ドアノブに手を掛けた、その瞬間。
 カチャリ。
 背後から、不気味な金属音が聞こえた。クロリアがそっと後ろを振り返る。彼の蒼い瞳に映ったのは、両手に拳銃を構えたフィレーネだった。
「ごめんなさい。私もこんな真似はしたくないわ。でも私の計画を知ってしまったあなたたちを、ただで帰すわけにはいかないの」
 彼女は無表情だったが、その言葉には謝罪の意がこもっていた。しかしクロリアたちの出方によっては、そのトリガーを引くことも躊躇わない冷酷さもまた、彼女の視線には見え隠れしていた。
「どうしても俺たちに、ヴァルクス暗殺をやれと?」
 軽く両手を上げながら、クロリアが肩越しに尋ねる。フィレーネは無言だった。クロリアの言うことを肯定しているようだ。
「ネエ、ヒトツ聞イテモイイ? ふぃれーねサン」
 テテロが長い首を後方へ捻って、振り返りながら質問した。
「アナタハドウシテ、暗殺者ニ俺タチヲ選ンダノ? ヨク知リモシナイ相手ニ、ソンナ大事ナ計画ヲ頼ムナンテ。ソレニ、アナタモ拳銃ヲ使エルンダカラ、一人デデキナイ事ハナイデショ?」
 フィレーネは軽く笑い、銃口をしっかりと二人に向けたまま答えた。
「いい質問ね、テテロ君。この町ではね、住民が殺人を犯せば、どんな理由であろうと罪になる。ひとつ間違えば死刑になるわ。でも旅人や放浪者は住人じゃない。だからこの法律の対象にはならないのよ。彼らのために用意された刑はただひとつ。その罪の重さに関わらず、この町から永久追放するということ……。それに、あなたたちは街中で見ず知らずの人間を助けるほどのお人よし。裏切るなんてこと、まず考えないでしょう? しかもクロリア君ほどの腕の持ち主はまずいない。彼なら私より確実にこの計画を成し遂げられる、ってね」
 彼女の説明を受けてから、テテロは溜息混じりに言った。
「ナルホドネ。ドウニモ無茶苦茶ダナァ。コノ町ノ法律モ……アナタノ考エ方モ」
「引き受けてくれるわね」
 テテロの言葉を無視し、フィレーネはクロリアに問う。彼女の表情には、もうほんの少しの余裕も見られなかった。ここでクロリアが諾と答えなければ、彼女はどの道、殺人を犯さなければならなくなるのだから――。
 張り詰めた沈黙の中、クロリアの唇が遂にその答えを紡いだ。
「俺だってまだ死にたくないですからね。いいでしょう。その依頼、受けます」
「くろりあ!」
 フィレーネが安堵の微笑を浮かべるのと、テテロが思わず叫ぶのとは同時だった。二人に向けられていた銃口が、やっと降ろされる。
「納得してくれたようね」
「自分の命を守るのが最優先です。その代わり、それなりの報酬は頂きますよ」
「くろりあ、本気カヨ!」
 信じられないほどさらりと言ってのけるクロリアに、テテロは怒りと動揺を隠せない。
 クロリアはこれまで、自衛以外の目的で人を殺めようとはしなかった。それに旅で鍛えられたせいか、彼は戦術の技能が極めて高い。彼なら例え、間近で銃口が突きつけられたとしても、簡単にその場から逃げられるはずだ。それなのに、こんなにも簡単に要人暗殺の依頼を引き受けたのだ。テテロが驚くのも当然だった。
「わかったわ。お金はいくらでも出しましょう。実行は今夜でいいかしら。それまでは上に空き部屋があるから、そこを使ってちょうだい」
「そうさせて貰います」
「くろりあ!」
「フフ、くれぐれも失敗しないようにね。それじゃ、部屋へ案内するわ。ついてきて」
 フィレーネはリビングの奥にあった階段を上り、空き部屋へ二人を案内した。少し埃を被った薄暗い小部屋だったが、ベッドや椅子、照明スタンドなど、一晩滞在するのに必要な物は揃っていた。
 二人を部屋まで連れてくると、フィレーネは用事があると言って一階へ戻っていった。それを見届けてから、クロリアは大きく息をついて、どさっとベッドに腰を降ろす。テテロはそんな彼をじっと見つめ、厳しい表情のまま短く問うた。
「本当ニ今晩、殺ルツモリナノ?」
 怒りと失望のこもった言葉だった。ところが次にクロリアが向けたのは、穏やかで優しげないつもの笑顔だった。
「大丈夫だよテテロ。さっきも言ったろ? 俺は殺しはしたくない。だからヴァルクスも殺さない」
「ソレジャ……!」
 しっかりとしたクロリアの言葉を聞いて、テテロの怒りはどこかへ吹き飛んでしまった。代わりに彼の中で、安心感と疑念とが渦巻く。
 部屋の小窓からは、赤く染まり始めた日の光が差し込んでいた。クロリアの端麗な横顔が、柔らかな逆光に照らし出される。
「作戦は考えてある。テテロにも協力してもらうよ」





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