哀しい大地の真ん中で
彼らは何を想うのか――







 雲がわずかに浮くばかりの、どこまでも蒼く澄み渡った空。その下には絶壁の山々に囲まれた、空中都市とも言うべき巨大遺跡が広がっていた。迷路のように複雑な石垣が連なり、そのほとんどが無惨に崩れ落ちている。遺跡のあちこちには、傷だらけの石碑が無数に突き刺さっていた。
「オーイ、くろりあー。イツマデコンナ所ニイルツモリダヨォ」
 どこからか気だるい声が聞こえてきた。幼く、微妙にアクセントや発音のずれた声。ちょうど人が、慣れない他国の言葉を話すような印象だ。その声はまもなく、頭上に広がる虚空に吸い込まれていった。
「くろりあッテバー!」
 再度、つまらなそうな声が辺りに響く。
 声の主は遺跡の中にたたずむ竜だった。大きく力強い翼を三対も生やしている。身長は人間と同じくらいだが、耳、背、後足から広がるその羽によってより大きく見えた。肉食恐竜のような姿かたちをし、長く伸びた尾を持つ。幼い声に似合わない鋭い眼をしており、額にはくさび形の傷跡がある。
 その紅の瞳が向けられる先には、薄手のコートを羽織った少年の姿があった。
「そう叫ぶなよ、テテロ。いいじゃないか、たまには寄り道も」
 クロリアと呼ばれたその少年は、構わず竜に背を向けて遺跡の中を歩いていく。テテロという名前らしいその竜は、少年の態度にいささかムッとしていた。
「それに、何だかここは落ち着くんだ」
 おもむろにクロリアはテテロの方を振り向いた。
 どこかまだ可愛らしさの残る、しかし端麗な顔立ちをした少年だった。淡い空色をした繊細な髪が、さらりと軽く風に揺れる。黒いズボンに白いシャツ、その上に右袖の破れたコートを纏っている。そして何より印象的なのは、彼の両眼だった。異様な雰囲気を醸し出しているその眼は、彼が只者でないことを示唆している。危険な未知の力を秘めているようにも思える、不思議な蒼の瞳。その色はあまりにも深く、油断していると吸い込まれそうだった。
 そのクロリアの言葉を聞いて、テテロは顔に鋭い怒りを迸らせた。
「オ前、何言ッテルンダヨ。ココハナ、昔、竜ト人トガ派手ニ殺シアッタ戦場ナンダゾ! タクサンノ竜ガ……人間モダケド……血ヲ流シテ死ンデイッタ、ソウイウ場所ナンダ!」
 カノロス人竜大激戦――この惑星ではかつて、想像を絶する大戦争が勃発した。その名からもわかるように、人対竜の、惑星全土を戦場とした大規模な戦いだ。テテロが言っているのはこの戦争のことだった。つまり地面に突き刺さっている数多の石碑は、その史上最悪の戦乱で犠牲になった者たちの墓という訳だ。
 テテロの怒りの滲んだ声を背中に聞きつつも、クロリアは足を休めることはしない。その一歩一歩を記憶に刻みつけるように、しっかりと地を踏みしめて歩いていく。
 ……コツン。
 不意にその歩みが止まった。足先に何か堅いものがぶつかったのだ。クロリアが反射的に後ずさり、視線を地面へ落とす。そこに無造作に転がっていたもの――それは、人間の頭蓋骨だった。
 それが命を懸けて戦っていた兵士のものなのか、戦乱に巻き込まれた女子供だったのか、その判別は今となってはつかない。しかしどちらにせよ、今やひび割れぼろぼろになっているそれは、戦争の深い悲哀と憎悪の象徴。醜い争いで死んでいった者の残骸――。
 クロリアは思わずその場にひざまずいていた。
「ソレナノニ『ココハ落チ着ク』ダナンテ。無神経ニモ程ガ……くろりあ?」
 何も知らずに話を続けていたテテロが、クロリアの様子に気づいて言葉を切った。うつむいて瞼を閉じるクロリアと、背後でそれを不思議そうに見つめるテテロ。
「……ドウシタンダヨ?」
 返事はない。時間だけがゆっくりと静かに流れていく。柔らかな風が、そっと二人の間を通り過ぎていった。
「オイ、返事クライシロヨ! くろりあッ!」
 気まずい沈黙に耐えかねてテテロが大声を出した。一拍遅れて、クロリアがそっと身を起こす。
「無視してたんじゃない。黙祷してただけさ」
 テテロにもよく見えるよう、クロリアは一歩横へ移動した。クロリアが新たに芝生を踏みしめる音に次いで、テテロの視界に頭蓋骨が飛び込む。
「ア……」
 思わず声が漏れた。痛々しい戦の残骸に、テテロの目が釘付けになる。クロリアと同じように思ったのだろうか、しばらくしてそれを見るのがやるせなくなり、ふいと顔を背けた。
 その大戦争では、男か女か、竜か人間かに関係なく、たくさんの生き物が血を流して死んでいった。いや、『たくさん』などという生ぬるい言葉では誤解を招くかもしれない。それほどに惨く、おぞましいものだった。その戦乱で失われた犠牲者の数は、実に惑星中の生命の約半数にも上ると言われている。
 もう百年程も前の出来事なので、今となってはそれを実際に経験した者は数少ない。しかしこの悲惨な過ちを決して風化させてはならないとして、その事象は人竜問わず今に伝えられている。だから当時の惨状は、伝え聞いただけではあるがクロリアたちも知っているのだ。それ故、戦争の傷跡を生々しく残した頭蓋骨を凝視してはいられなかった。
 重苦しい空気の中、クロリアは何を思ったのか、突然ふっと綺麗な微笑を浮かべた。
「不思議だな」
「ハァ?」
 テテロが思わず素っ頓狂な声を出す。その間抜けな声を聞いて、クロリアは苦笑いしながら言った。
「いきなりごめん。でもそう思わないか?」
 テテロは彼の抽象的な言葉の意味がわからず、頭の周りに疑問符を飛ばし続ける。クロリアは穏やかに続きを話した。
「昔、竜と人がこれほどの争いをしたんだぜ? それなのに今、俺とテテロはこうして一緒に旅してるだろ。それが不思議だな、って」
 それを聞いたテテロは、苦い顔をして、やや低めの声で答えた。
「確カニナ。ダケドヨくろりあ。俺タチ竜ハ、今デモ人間ニ酷イ迫害ヲ受ケテル。戦争ガ終ワッテモ、人ト竜ハズット睨ミ合ッタママデ、仲良クナル気配ナンカ全然ナイジャナイカ。ソレニ、ソモソモオ前ハ――」
「人間じゃない。そう言いたいんだろ」
 まさに言わんとしていたことを指摘されて、テテロの眼が見開かれた。さらりと唱えられたそれは、本来簡単に口にすることなどできない言葉。世界が一瞬にして凍りついたような錯覚が、クロリアとテテロに襲いかかる。
「そう、俺は人間じゃない。人間にも、天使にも、悪魔にすらなりきれない、穢れた生き物……」
 クロリアが背負う、人外の者であるという事実。彼の口はそれを何の躊躇いもなく呟くが、瞳に落ちる暗い影が彼の本心を物語っていた。張り詰めた空気が、彼の体に突き刺さる。
「――でも」
 長い沈黙の後、クロリアが口を開いた。そして何かを求めるように、視線を虚空へと投げる。彼の頭上、遙か彼方の空では、何も知らない小鳥が楽しそうに空を舞っている。
「俺はリト爺や、ジンや、レッドと一緒に、人間として生きてきたんだ。だから……」
 クロリアがゆっくりと振り向く。テテロに向けられたのは、哀しく優しい笑顔だった。温かく、けれども強い意志を秘めた眼には、彼の強い思いが満ちている。テテロはそんな彼を少しだけ見つめて、そっと笑顔を浮かべた。
「分カッタヨ。ソウイウ事ニシテオコウ」
 おもむろに、クロリアが腰に吊ってある革製のポーチに手をやる。そこから取り出されたのは、何とも幻想的な雰囲気を放つ楽器だった。厚みのある半円形の笛で、その上部には蒼の珠が埋め込まれている。クロリアの瞳によく似た、深く澄んだ蒼だった。
「久しぶりにこれ、吹いてみるか」
 クロリアの明るい声に笑みで答えるテテロ。クロリアはゆっくりと笛を構え、蒼い珠の部分にそっと口づけた。静かに目を閉じ、息を吹き込む。
 蒼い笛を中心に、優しく温かい光が発せられた。それは雲のように柔らかで、時折キラリと輝いた。光はテテロや地面に転がる頭蓋骨を包み込み、まもなく遺跡全体へと広がった。世界が光の海になっていく。
 美しく、清らかな音色の出る笛だった。ハープやオカリナにも似た優しい響きでありながら、クワイアのような壮大な力を携えているようにも思える、心深くに染み渡る音だ。
 ――戦いで傷つき、他界していった数多の人と竜たちよ……。
 ふとその音色の中に、クロリアの声が聞こえてきた。彼が笛の音に自分の想いを重ねているのだった。
 ――俺のような穢れた者がこの笛を奏でるのは、さぞかし許し難いことだろう……。
 不思議な音色も、眩しい光も、優しい風も、全てはクロリアと笛から生み出されていた。心が温かなもので満たされていく。
 ――だが、この笛の音が少しでも、あなたたちの憎悪と悲哀を和らげるのであれば……。
 クロリアの瞼がそっと持ち上がる。露わになった深いブルーの瞳。そこには繊細な紋章が刻まれている。それも、左目と右目で全く違う文様の。それこそが彼を彼たらしめる、抗えない運命を象った刻印だった。
 その宝石のような瞳を、クロリアは蒼穹の彼方へと向ける。テテロも自然とそれに続く。
 ――戦いで傷つき、他界していった数多の人と竜たちよ。怒りを忘れ、安らかに眠り給え……。
 地上を覆っていた光の波が、海を漂う泡のように静かに天へと昇っていく。それは戦場で尊い犠牲となった、数知れぬ命。クロリアとテテロは、真っ白な心でそれらを見送った。



 ある日の昼下がり。何もなかったかのように、遺跡の上に広がる青空を、小鳥が舞っていた。





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